国際う蝕コンセンサス(ICCC)による、う蝕組織除去と窩洞形成の臨床推奨(Schwendicke 2016・Adv Dent Res)
硬い象牙質が出るまで削り切る——長く「完全除去」と呼ばれてきたこの終点を、国際う蝕コンセンサス(ICCC)は明確に「過剰治療であり、もはや推奨されない」と書きました。代わりに置かれたのは、病変の深さで止めどころを変えるという考え方です。浅い・中等度ならfirm(革のような硬さ)まで。深ければsoft(軟らかい象牙質)を歯髄側に残す。残す理由は、露髄を避けることそのものにあります。
①「あと少し軟らかい。取っておこうか」で手が止まる瞬間
深いう蝕を削っていて、歯髄が近いのが分かる。窩底の象牙質はまだ軟らかい。ここで毎回、同じ問いが浮かびます。
「取るか、残すか」。
取れば露髄するかもしれない。残せば「取り残し」になるかもしれない。習ってきたのは「軟化象牙質は完全に除去する」——だから手が動く。そして露髄して、抜髄になる。
国際う蝕コンセンサス(ICCC)は、この場面についてはっきり書いています。歯髄に近い、細菌に汚染された、あるいは脱灰した組織は、取る必要がない。そして「硬い象牙質まで削り切る」従来の完全除去は、過剰治療であり、もはや推奨されない。
②その前に——「削らない」が先にある
この合意は、削り方の話に入る前に、もっと手前の順番を置いています。
つまりこの文書のう蝕除去に関する推奨は、「修復的介入が避けられないと判断された歯にのみ適用される」と明記されています。削り方の議論は、削ると決めたあとの話だということです。
そして削ると決めたとき、優先順位は次の4つ——健全で再石灰化しうる組織の温存、修復による封鎖の達成、歯髄の健康の維持、修復の成功の最大化。
③深さで、止めどころを変える
生活歯髄で症状の無い歯に対して、残す象牙質の硬さで戦略が整理されました(原著は5つと数えていますが、名前を挙げて説明されているのは次の4つです)。選ぶ基準は病変の深さと歯種(乳歯か永久歯か)です。
hard dentine までの非選択的除去(かつての完全除去)は、窩洞のどこでも同じ基準で削り、硬い象牙質だけを残す方法。過剰治療とみなされ、もはや推奨されません。
firm dentine までの選択的除去は、歯髄側に「革のような(leathery)」象牙質を残す方法。手用エキスカベーターに抵抗を感じる硬さで、窩縁の象牙質はhardまで整えます(原著は本文でこのhardに「scratchy=引っかかる」を添え、推奨8では firm のほうに scratchy を並べており、表記に揺れがあります)。これが浅い〜中等度の齲窩(エックス線で象牙質の歯髄側1/3または1/4に達していないもの)に対する、乳歯・永久歯ともに第一選択。ただし推奨の強さは「弱い推奨」です。
soft dentine までの選択的除去は、深い齲窩(象牙質の歯髄側1/3または1/4に及ぶもの)に推奨されます。歯髄の上に軟らかいう蝕組織を残して露髄と歯髄への「ストレス」を避け、一方で窩縁のエナメル質と象牙質は hard まで整えて、確実な封鎖と耐久性のある修復を可能にする。この方法は、非選択的除去や firm までの除去に比べて露髄のリスクを有意に下げるとされました。推奨は「強い推奨」です。
段階的除去(stepwise removal)は、2回の来院に分ける方法。永久歯の深い病変では選択肢になる(強い推奨)一方、乳歯は寿命が限られるため必要とみなされず、soft までの選択的除去を行うとされました。
④段階的除去の「2回目」は、省いてよいかもしれない
段階的除去の考え方は明快です。1回目に軟らかいう蝕組織を歯髄の上に残し、窩縁は hard まで整えて最長12か月もつだけの耐久性がある暫間修復を置く。この期間に第三象牙質が形成され、脱灰象牙質が再石灰化し、生きた細菌の数が減ることを期待する。2回目に暫間修復を外し、病変内の色と硬さの変化を再評価して、歯髄の上が leathery になるまでだけ削る。
興味深いのは、この合意が2回目そのものへの疑義を書いていることです。深い病変では2回目の除去を省いてよいというエビデンスが一部にある——それは露髄のリスクを高め、かえって歯髄の健康に有害だから。加えて2回目は費用・時間・患者の不快を増やす。なお患者が2回目に戻ってこないことがあるという指摘は、暫間修復を最長12か月もつ耐久性にすべき理由として書かれているものです。
⑤深さで、優先順位そのものが入れ替わる
この合意のいちばん本質的な部分は、術式の名前ではなく優先順位が状況で入れ替わると明言したところにあります。
生活歯髄で症状が無い歯では、「歯髄の健康の維持」と「修復の寿命の最大化」という2つの目標が、互いに天秤にかけられる必要がある。そして——
深い病変(エックス線で象牙質の歯髄側1/3または1/4に及ぶ、あるいは臨床的に露髄のリスクがあると評価されるもの)では、歯髄の健康の維持を優先する。
浅い、あるいは中等度の深さの病変(歯髄側1/3または1/4に達していないもの)では、修復の寿命がより重要になる。
露髄を避けることは、歯の生涯にわたる予後に大きな影響を与えると書かれています。歯髄の健康を保てる見込みと、歯髄壊死・根尖性歯周炎(および生活歯髄の外科的処置の予後)の不利益とを比べたとき、現在のエビデンスは歯髄の健康を優先してよいことを示している——これがこの推奨の根拠です。
評価の方法についても線が引かれました。硬さ(soft・leathery・firm=引っかかる・hard)を、う蝕組織とその除去を評価・記述・報告する第一の基準にすべき(弱い推奨)。水分(wet・moist・dry)と色(淡い/黄色、濃い茶/黒)は補助的な指標として有用かもしれない(弱い推奨)。そして、う蝕検知液による染色性は有害ですらありうるとして退けられています。
⑥明日の臨床へ
削る前に、深さを見る。エックス線で病変が象牙質の歯髄側1/3(または1/4)に達しているか。ここが分岐点です。達していなければ firm まで、達していれば soft まで。この1つの判断で、その日の窩底の扱いが決まります。
窩縁と窩底を分けて考える。どちらの戦略でも、窩縁は hard まで整えます。封鎖と修復の耐久性はここで決まる。逆に歯髄側は、深さに応じて残す。「全部同じ基準で削る」のをやめる、というのがこの合意の実務的な中身です。
「取り残し」という言葉を使わない。意図して残した軟化象牙質は取り残しではなく、露髄を避けるための選択です。カルテにも「selective removal to soft dentine」と書けば、次に開けた術者にも意図が伝わります。
そしてう蝕検知液に判断を委ねない。硬さで判断し、色と乾き具合を補助に使う。硬く、色が濃く、乾いた象牙質は病変が停止していることを反映する、と本文に書かれています。
⑦ここだけ、冷静に補助線
今日のひとこと
う蝕組織を取るのは、長持ちする修復の条件を作るためだけである。歯髄に近い、細菌に汚染された、あるいは脱灰した組織は、取る必要がない。深い病変では歯髄の健康を優先し、浅い〜中等度では修復の寿命のほうがより重要になりうる——優先順位が深さで入れ替わることが、この合意のいちばんの中身である。


