英語が話せないのは、実は「強み」かもしれない
「日本人は英語が話せない」——それは欠点ではなく、母国語だけで学びきれる豊かさの裏返しかもしれません。

「全部英語で授業すれば話せる」の落とし穴
日本人は英語が話せない、とよく言われます。だから「いっそ小学校から全部の授業を英語でやればいい」という極端な意見も出てきます。
でも、実際に授業を英語化したある大学の話を聞くと、そう単純ではないようです。留学生はいつも高得点なのに、日本人の学生は点が伸びない。結局、英語のレジュメを写真に撮って翻訳にかけ、日本語の教科書で覚え直す——「これ、何のための英語だったんだろう」という状態になってしまったそうです。

夏目漱石が100年前に見抜いていたこと
面白いのは、これとほぼ同じことを夏目漱石が明治時代に書いていたことです。「日本人は英語が話せないと言うが、だからといって英語で授業をするのは最も愚かな政策だ」と。
理由はこうです。日本語で理解するのも難しい高度な学問を、英語で理解しようとするのはそもそも無理がある。しかも日本には、高度な内容まで網羅した日本語の教科書がそろっている。
たとえば自国の言葉で書かれた医学書が少ない国では、まず外国語を習得しないと専門書が読めません。学問の前に語学という「二重のコスト」がかかり、結果として一部の人しか専門職になれない。一方の日本は、日本語さえ堪能なら最先端の医学まで学べる。高度な教育が全国民に行き渡るという、とてつもないメリットがある。つまり「英語が話せない」のは、裏を返せば「自国語だけで学びきれる豊かさ」の証でもある、というわけです。

あとはAIが埋めてくれる
とはいえ、英語が要らないわけではありません。ただ、翻訳・通訳の技術はこれから一気に進みます。
いまの翻訳イヤホンは、正直まだ実用には遠い。話の途中で言い回しを変えたり、言い直したりすると、もうついてこられない。日本語は「先に言って、やっぱり違う」と後から修正できますが、英語は文の構造上、最初に言ったことを言い通す必要がある。この呼吸の違いに機械がまだ追いつけないのです。
それでも、数年後にはかなり実用的になっているはず。だとすれば、語学そのものに人生のコストを大きく割くより、自分の専門を母国語で深く究めるほうに時間を使う、という選択も十分にありだと思います。


