顎関節症|下顎第二大臼歯を完全には覆っていない軟らかいスプリントを夜間に10年使い、開咬とオーバージェットの増加が生じた25歳女性の症例報告。取り外し式の矯正装置で伸び出した歯を圧下して治した(Chate と Falconer 2011・British Dental Journal)
顎関節症のスプリントや、矯正後の保定装置。何年も使い続ける装置が、歯列の一部しか覆っていなかったら何が起きるのか。この症例報告の患者さんは、下顎の第二大臼歯を完全には覆っていない軟らかいスプリントを夜間に10年使っていました。覆われなかった歯の遠心が伸び出し(挺出)、下顎が後下方へ回転して、開咬とオーバージェットの増加が生じています。治療は、伸び出した歯だけに当たる咬合挙上ブロックの付いた上顎の取り外し式装置。6か月で元の咬合を取り戻しました。著者らの結論は、長く使う装置は歯列のすべての歯を覆うことが欠かせない、です。1例の報告なので、どれくらいの頻度で起きるかは分かりません。
①そのスプリント、いちばん奥の歯まで覆えていますか
顎関節症の患者さんに作ったスプリント。矯正治療のあとに渡した保定装置。どちらも、患者さんは何年も使い続けます。
装置の後ろの端が、最後方の大臼歯の途中で終わっている。模型の上では小さなことに見えます。けれど、それが10年続くとどうなるのか。
この論文は、英国の病院の矯正歯科医と口腔外科医が British Dental Journal に報告した1例の症例報告です(2011年)。
・下顎の第二大臼歯を完全には覆っていない軟らかいスプリントを、夜間に10年使っていた25歳の女性
・覆われなかった第二大臼歯の遠心が伸び出し(挺出)、下顎が後下方へ回転して、開咬とオーバージェットの増加が生じた
・伸び出した歯だけに当たる咬合挙上ブロック付きの装置を6か月使い、元の咬合を取り戻した
・著者らの結論:長く使う装置は、歯列のすべての歯を咬合面で覆うことが欠かせない
②「一部だけ覆う装置」は、前から知られていた問題
著者らは導入で、矯正の保定装置の話から始めています。
熱可塑性のシートを吸引成形して作る保定装置は、従来のホーレータイプと比べて費用対効果が良く、多くの患者さんに好まれ、症例によっては効果も高いことが近年の研究で示されてきました。
ただし設計には注意が要ります。Sheridan が最初に示した設計の1つは、下顎の前歯だけを覆い、夜間に使うものでした。これを1日中使うと、2%あまりの症例で軽い前歯部の開咬が生じたと報告されています。
そのため、1日中使う装置では歯列全体を覆うのが標準になり、開咬を防ぐために装置の咬合調整を組み合わせるのが定番になった、と著者らは説明しています。
③今回の症例:10年使ったスプリントの後ろの端
患者さんは25歳の女性です。過去に矯正治療を受けていて、上顎の第一小臼歯を抜歯し、上下顎に固定式の装置を付けていました。
その後、一般歯科医から下顎の軟らかい咬合挙上装置を渡され、夜間に10年使っていました。目的は2つ。主には顎関節の機能障害の管理、あわせて長期の保定です。
ところが、この装置は下顎の第二大臼歯を完全には覆っていませんでした。
覆われなかった第二大臼歯は、遠心が伸び出し、近心に傾いていました。伸び出した部分が上顎の第三大臼歯と当たり、下顎は後下方へ回転。その結果、開咬とオーバージェットの増加が進んだ、と著者らは説明しています。
では、もともと開咬だった可能性はないのか。著者らは、上顎の切歯と犬歯に咬耗のファセットがあることを、以前は前歯が咬み合っていた証拠として挙げています。
④治療:伸び出した歯だけを、押し戻す
患者さんは、開咬を治すことで顎関節の機能障害を改善する目的で紹介されてきました。
著者らが選んだのは、上顎の取り外し式の装置です。
・上顎の第三大臼歯の上に、左右の咬合挙上ブロックを置く
・咬んだとき、ブロックは下顎第二大臼歯の遠心の咬頭だけに当たる
・上顎の残りの小臼歯と大臼歯にはオクルーザルストップを置き、咬合を閉じていく間にこれらの歯が伸び出さないようにする
この装置をできるだけ長い時間(1日中ではない)使って6か月。下顎の第二大臼歯は十分に圧下され、元の咬合を取り戻しました。
顎関節の症状は改善しました。ただし、治療前のMRIで変形性関節症の変化が確認されていて、その影響で機能障害の一部は残った、と著者らは書いています。
⑤なぜ起きるのか:咬み合う相手のない歯は、伸び出す
著者らは考察で、この症例を裏づける先行研究を挙げています。ここに出てくる数値は、どれも著者らが引用した別の研究のものです。
・対合歯がまったくない成人の歯は、最大5.4mm伸び出し、その頻度は82〜92%と報告されている
・一部だけ対合歯のない歯でも同じことが起き、その場合は傾きがより大きい
・伸び出した歯の半数あまりが、後方接触位(RCP)での干渉、または偏心運動時の干渉に関わっていた
・第二大臼歯を、保定を含む矯正治療のすべての段階に組み込まないと、臼歯部の接触が理想的でない位置になる頻度が高い
ここからは筆者の読みです。スプリントで覆われた歯は、装置が対合歯の代わりになります。完全には覆われなかった歯の一部だけが、装置を入れている間、咬み合う相手を失う。それが毎晩、10年続いた、と考えると筋が通ります(原著はこの仕組みを言葉では説明していません)。
著者らは、この性質が役に立つ場面にも触れています。すり減った前歯の修復スペースを作るために、あえて歯を咬合から外して動かす方法(ダールの装置)です。歯が動くこと自体は、使い方しだいです。
⑥明日の臨床へ
著者らの結論ははっきりしています。睡眠時無呼吸、顎関節、矯正のいずれの目的でも、長く使う装置を渡すときは、歯列のすべての歯を咬合面で覆うことが欠かせない。
・渡す日に後ろの端を見る。最後方の大臼歯の遠心まで覆えているか。印象が届いていなければ、採り直す
・萌出途中の歯、あとから生えてきた歯がある患者さんは、装置の作り直しを考える
・長く使っている患者さんの咬合を定期的に見る。前歯が当たらなくなった、奥だけが先に当たる、という変化がないか
・他院で作った装置を使っている患者さんでも、装置を入れた状態で後ろの端を確かめる
・起きてしまっても、この症例では取り外し式の装置で元に戻せた
伸び出しの量や開咬の大きさの計測値は載っておらず、経過は口腔内写真と記述で示されています。装置を使った時間の記録や、治療後に咬合が保たれたかどうかの追跡も書かれていません。
原因の見立ての根拠は、上顎前歯の咬耗のファセット(以前は前歯が咬み合っていた証拠)です。この患者さんは小臼歯を抜いて矯正治療を受けていますが、矯正後の変化などほかの要因を分けて考えるための記録(治療前後の模型や写真の比較)は示されていません。
考察の「最大5.4mm」「82〜92%」は、対合歯を失った歯を調べた別の研究の数値です。スプリントで覆われなかった歯にそのまま当てはまる数字ではありません。
それでも、装置の後ろの端という小さな見落としが、10年かけて咬合を変え得ることを、写真と経過で見せてくれる1本です。確認にかかるのは数秒。明日から診療に入れられる視点です。
今日のひとこと
この症例が教えてくれるのは、長く使う装置が歯列の一部を覆っていないと、覆われなかった歯が伸び出して、咬合そのものが変わり得るということです。この患者さんは第二大臼歯の遠心が伸び出し、開咬とオーバージェットの増加が生じました。歯科が持ち帰れるのは、スプリントや保定装置を渡す日に、最後方の歯まで覆えているかを確かめること、そして長く使っている患者さんでは咬合の変化を定期的に見ること。1例の報告なので頻度は分かりませんが、確認にかかるのは数秒です。


