35歳になりました。寛容さは、経験からしか生まれない
年齢が何かを与えてくれるのではなく、責任を引き受けた経験の数だけ、人のやり方を許せる幅が広がる。
おはようございます。今日で35歳になりました。今日は朝礼で話したことを残しておきます。

25歳の自分は「大人」を感じられなかった
子どもの頃に思い描いていた「大人」に、25歳の自分はまるで届いていませんでした。周りを見渡しても、そんなに大人じゃないな、というのが正直な感想でした。
ところが35歳になってみると、今は自分でも「大人になったな」と思えます。何が違うのか考えてみると、学生の期間が長かったぶん、25歳の頃はまだほぼ社会人1年目だったんですね。学生のうちは、新しいことに挑戦しても、それに責任が伴わないことが多い。責任を引き受けた回数の差が、そのまま実感の差になっていたのだと思います。

「開けて」と「開いて」にこだわっていた頃
私はもともと、言葉の使い方に厳しいところがあります。たとえば患者さんに声をかけるとき、「お口を開けてください」でないと気持ちが悪い。「開ける」は他動詞で、相手に投げかける言葉だからです。「開いて」は自動詞なので、人にお願いする形にはならない。そう思ってしまうわけです。
でも、言葉というのは変わっていくものです。「滅相もない」は本来まったく逆の意味でしたし、「全然」の使い方も時代とともに移り変わってきました。過去を知って、いろいろな場面を経験するうちに、間違いとされていたものが当たり前になっていく流れそのものが見えてきて、許容範囲が自然と広がっていきました。

視野が広がると、片方に寄らなくなる
いろいろな経験をして、いろいろな考え方に触れると、「そういう考え方もあるのか」と受け止められるようになります。これは、自分の芯を捨てることとは違います。
一つの考えに寄っていると、その考えに同意してくれる人が集まっているあいだは、とても心地よく過ごせます。ただ、その心地よさと引き換えに、そうでないものへの拒絶が強くなってしまう。自分と違うやり方を見たときに、まず否定から入ってしまうわけです。


