「レッテル貼り」は敵か味方か
人にラベルを貼ることは悪じゃない。貼る向きひとつで、自分を助ける道具にも事実を歪める刃にもなる。

ラベルは「対策の入り口」にもなる
たとえば、忘れ物が多かったり衝動的に動いてしまったりして困っている人が、「自分はこういう傾向があるんだ」と気づけると、そこから対策を立てやすくなります。ラベルは、自分の特性を理解して備えるための入り口になり得るわけです。
これは患者さんへの対応でも同じです。「この方は細かいところまで気にされる」と早めに掴めれば、最初にしっかり説明し、写真も見せて、必要なことを先に全部お伝えしておける。あとから長い問い合わせが来て慌てるより、ずっとお互いに楽になります。ラベルには先回りして事故を防ぐという立派な役割があるのです。

ただし、否定の色が混じると事実が歪む
問題は、そのラベルに「攻撃」や「否定」の色が混じったときです。本来なら「この場面はちょっと難しそう」で十分なのに、「この人は危ない」と強い言葉で決めつけてしまうと、そこから誤解が生まれます。選挙で「極左だ」「極右だ」と貼り合うと事実がぼやけていくのと同じで、否定から入ったラベルは、対象そのものを見えなくしてしまう。
「アメリカは治安が悪い」という情報も、「じゃあどう備えようか」と考えるなら役に立ちますが、「危ないから行くのはやめとけ」で終わらせると、ただの決めつけになります。同じ事実でも、どちらを向いて使うかで意味がまるで変わるのです。

他責ではなく、「自分がどうするか」へ
だから僕が大事にしたいのは、ラベルを貼るときに「相手を攻めているだけになっていないか」を一度立ち止まって確かめることです。相手がこうだから悪い、で終わらせるのは他責。そうではなく、相手がこうだから、自分はどう動くかに変換する。原因を自分の側に置いて、未来に向けて考える姿勢です。
決めつけて突き放すのは簡単ですが、そこからは何も動きません。相手の特性を理解したうえで、こちらの対応を一段変える。そういう目線でラベルを扱える集団にしていきたいと思っています。


