抜歯予定の生活歯12本に選択的う蝕除去と接着修復を行い、1〜9か月後に抜歯して歯髄の炎症と象牙質内の細菌を組織学的・組織細菌学的に観察したヒト研究(Ricucci 2020・J Dent)
深いう蝕。エキスカが硬いものに当たる。「革様」あるいは「硬い」——ここで止めて、あとは封鎖に任せる。この判断はいま、国際的な合意に支えられています。根拠のひとつが「封鎖してしまえば、残った細菌は栄養源から切り離されて死ぬか休眠する」という考え方。ではその考えを、実際に取り出して切って、顕微鏡で確かめたらどう見えるのか。
①「硬いから、ここで止めよう」の、その下
深いう蝕。スプーンエキスカが硬いものに当たる。「leathery(革様)」あるいは「firm(硬い)」——ここで止めて、あとは封鎖に任せる。
この判断は、いま国際的な合意に支えられています。2015年にルーヴェンに集まった12か国21人のカリオロジー専門家(International Caries Consensus Collaboration)は「硬い象牙質まで完全に除去するのは過剰治療である」と合意しました。欧州歯内療法学会も、可逆性歯髄炎の歯では選択的除去を支持する見解を出しています。
その根拠のひとつが、「封鎖してしまえば、残った細菌は栄養源から切り離されて死ぬか休眠する」という考え方です。
ではその考えを、実際に取り出して切って、顕微鏡で確かめたらどう見えるのか。Ricucciらが12本のヒトの歯でそれをやりました。手厳しい結果でした。
②選択的除去して修復した歯を、あとで抜いて切る
この設計の値打ちは、「臨床的に成功している歯」を、そのまま組織で見られるところにあります。抜歯される予定の歯に、正規の手順で治療を施して、あとから答え合わせをする。滅多にできない研究です。
③結果——臨床は12例中12例、組織は12本すべてで陽性
まず臨床。術後の不快症状を訴えた患者は1人もいませんでした。観察期間中、12本すべてが無症状。抜歯直前の温度診・電気診も、全例が正常範囲で反応しました。
この時点で、通常の臨床試験なら「12例中12例成功」です。
そして組織。
12本すべての窩底直下の象牙質に、多量の染色される細菌が観察されました。象牙細管はかなりの深さまで細菌に占拠され、細管の側枝にも細菌が入り込んでいました。深いう蝕と診断された2本では、細菌が二次象牙質と三次象牙質の境界(カルシオトラウマティックライン)に達し、三次象牙質の表層まで侵入していました。一部には細管の構造そのものが失われ、細菌の塊が詰まった縦横の「ポケット」ができていました。
歯髄側も、静かではありませんでした。12本すべてに慢性炎症細胞(リンパ球・マクロファージ・形質細胞)が認められ、象牙芽細胞下層の毛細血管は赤血球で充血し、歯髄に入る血管には好中球が増えていました。形質細胞の中には、免疫グロブリンを盛んに作っていることを示すラッセル小体まで見えています。
健全な対照歯4本では、炎症細胞の集簇も拡張した血管も認められず、歯髄周囲象牙質に細菌も見つかりませんでした(求心性血管内の好中球については、対照歯で個別に報告されていません)。
ただし——ここは公平に書きます。中等度以上の炎症像を示した歯は、1本もありませんでした。所見は「散在する慢性炎症細胞」が7本、「わずかな限局性の集簇」が5本で、この範囲にとどまっています。著者ら自身が「10本は中等度のう蝕で、深いう蝕は2本だけだったのだから、これは驚くべきことではない」と書いています。
④この結果が突いているのは、評価軸そのもの
選択的除去の臨床試験は、「症状がないこと」と「歯髄診が正常であること」で成功を測ってきました。著者らが引用する試験では、36〜45か月後に88%で歯髄の生活反応が保たれていたと報告されています。
この研究が示したのは、その2つの指標が揃っていても、組織では細菌と炎症が続いているということです。「症状がない」は「治っている」の証明ではない——著者らの言葉では「症状の欠如は、細菌感染と併存しうる」。
もうひとつ、「残った細菌は死ぬか休眠する」という前提にも反論しています。12例すべてで炎症細胞の集簇と循環障害が続いていたことは、残存細菌が代謝的に活動しており、その産物を歯髄へ放出し続けていることの表れではないか、と。
その仕組みの説明も具体的です。深いう蝕の細菌叢の主役である非糖分解性の嫌気性菌は、糖が絶たれても、脱灰したコラーゲンや象牙細管内の歯髄液由来のタンパク質・糖タンパク質を栄養に切り替えられる——だから封鎖しても、栄養が尽きるとは限らない。
「後から漏れて入った細菌では?」という当然の疑問にも、著者らは答えを用意しています。修復物が臨床的に無傷だったこと、側壁には細菌がいなかったこと、窩洞の歯髄側の壁にバイオフィルムが形成されていたこと——この3つから、新たな感染ではないと結論しています。
⑤明日の臨床へ
著者らの結論は明快で、そして現在の国際的な合意とは逆向きです。「臨床的には、脱灰した軟化象牙質はすべて、硬い健全象牙質に達するまで除去しなければならない。露髄したなら、生活歯髄療法を検討すればよい」。
この主張を採用するかどうかは、読む人の判断です。この研究は、選択的除去が臨床的に失敗すると示したわけではありません(12本すべてが臨床的には成功しています)。示したのは「残した象牙質は無菌ではなく、歯髄は静かに炎症を起こしている」という事実までです。
そのうえで、明日から効くことを3つ。
①「硬い=細菌がいない」という理解は、もう持たない。硬さは細菌の有無を示す指標ではありませんでした。Fusayamaの「軟化が最も深く、変色が次、細菌侵入が最も浅い」という古典的な層構造の理解も、この研究では支持されていません。選択的除去は「無菌にする処置」ではない——ここまでは、この研究がはっきり示しています。では「封じ込める処置」と言い換えられるかというと、著者らはそこも否定します。残存細菌が代謝的に活動し、産物を歯髄へ放出し続けている以上、封じ込められてはいない、という立場です。
②だからこそ、封鎖の質が生命線になる。著者らは「宿主の抵抗力が落ちるか、修復物による細菌を通さない封鎖が失われれば、歯髄壊死が起こりうる」と書いています。残す判断をしたなら、辺縁の適合と接着に妥協しない。二次う蝕で封鎖が破れた時点で、前提が崩れます。
③無症状の経過観察を「治癒」と読み替えない。選択的除去をした歯は、症状がなくても慢性炎症を抱えている可能性がある——この認識があるかどうかで、数年後に症状が出たときの解釈が変わります。「急に悪くなった」ではなく「ずっと続いていたものが顕在化した」かもしれない。
⑥ここだけ、冷静に補助線
今日のひとこと
選択的う蝕除去で「革様」「硬い」まで残した象牙質は、無菌ではなかった。12本すべての窩底直下に多量の染色される細菌が認められ(++ が5本・+++ が7本)、細管の側枝まで占拠され、深いう蝕の2本では三次象牙質の表層まで侵入していた。歯髄も静かではなく、12本すべてに慢性炎症細胞・毛細血管の充血・求心性血管内の好中球が確認された(健全な対照歯4本では炎症細胞の集簇も拡張した血管も細菌も認められなかった)。それでいて、術後の不快症状を訴えた患者は0人、抜歯直前の温度診・電気診も全例正常——つまり臨床指標では12例中12例が成功だった。症状がないことは、感染も炎症もないことの証明にはならない。ただし中等度以上の炎症像は1本もなく(散在が7本・わずかな限局性の集簇が5本)、この炎症が将来どうなるかは著者ら自身が「未回答」と書いている。「硬い=細菌がいない」という理解は手放したい。ただし著者らは「封じ込められている」という言い換えも否定しており、残存細菌は代謝的に活動していると読んでいる。


