カリオロジー|歯磨剤の研磨性・エナメル質の摩耗・放射化トレーサー法
「歯磨き粉で歯が削れませんか」。診療室で必ず出る質問です。答えるにはまず「1回磨くとどれだけ減るのか」を知らないといけません。オランダのユトレヒト大学とフローニンゲン大学のグループが、ヒトのエナメル質を原子炉で放射化し、ブラッシング機械で削り、流れ出た放射能を数えるという方法でこれを測っています。1983年の、地味で執念深い一本です。
①「歯磨き粉で歯が削れませんか」に、数字で答えたい
診療室で必ず出る質問です。「研磨剤が入っていると削れるのでは」「電動ブラシは強すぎませんか」。
答えるには、まず1回磨くとどれだけ減るのかを知る必要があります。ところが、これがなかなか測れません。エナメル質の摩耗は、1回あたりナノメートルの世界です。直接秤にかけて追える大きさではありません。
そこでこの研究が採った方法が独特です。エナメル質そのものを原子炉で放射化し、削れて流れ出た放射能を数える。削られた側ではなく、削り取られたスラリー側を測るという発想です。
②放射化して、機械で磨いて、流れ出た分を数える
- 試料:25〜40歳の患者から抜去した上顎中切歯。頬側面の中央1/3から直径5mmの円形試料を切り出し、レジンに包埋。解剖学的表面から50〜100µmを削り落として平坦に研磨(全面で±1µm以内)
- 放射化:オランダ・ペッテンの原子炉で3×10¹² n/s/cm² を150分照射。実験は照射の7日後(短寿命核種の減衰を待つ)。主な線源は³²P
- ブラッシング機械:英国規格協会の歯磨剤試験仕様(BS 5136, 1974)を改造。ナイロン毛(径0.28mm・長さ11mm)のブラシ、荷重200g、毎分346ストローク、ストローク幅37mm。8試料を同時に磨く
- スラリー:市販歯磨剤(研磨剤=炭酸カルシウム・平均粒径7µm)を水7g+歯磨剤3gで調製。容器はペルスペックスの一体成型で、沈殿が起きないよう設計
- 測定:一定回数ごとにスラリーを1mL採取し、乾燥させてガイガー・ミュラー計数管で1000秒計測。バックグラウンドと³²Pの減衰を補正
細かいところに執念があります。スラリーの均一性を確かめるため、試料の真上・ブラシが折り返す2か所の計3点から採取して比較し、場所による差が無いことを確認しています(原著Table II)。
③結果——最初は速く、すぐにゆるやかになる
削り取られた量は、ストローク数とともに増えます。ただし比例しません。
- 500回と1万回の間、1万回と3万回の間には有意差あり(p<0.05)
- 3万回と5万回の間は有意差なし——このあたりで頭打ちになっています
- 初期の削れる速さは500回あたり約25µg(100回あたり約5µg)。試料の表面積は約0.4cm²なので、100回あたり約12.5µg/cm²
厚さに直すと、こうなります。500回で0.2µm、1万回で0.4µm、3万回で0.6µm、5万回で0.7µm。
ストローク数が100倍(500→5万)になっても、削れた量は約3倍にとどまります(質量で27→82µg。層の厚さでは0.2→0.7µm)。
④なぜ、途中から削れなくなるのか
著者らの説明は、エナメル質の構造に踏み込みます。
エナメル質は、硬い結晶(クリスタライト)が、柔らかい有機質のマトリクスに埋まった構造をしています。
- 1万回まで:硬い結晶が、柔らかい有機質から優先的に引き抜かれていく。研磨の工程ですでに緩んでいた部分でもある。だから速い
- 2万回を超えると:削れ方を決めるのは有機質のマトリクスのほうになる。ここで直線的な挙動に変わる
そして1万回で削れた0.4µmという値は、結晶1本の長さ(約1µm)と同じ桁です。「引き抜かれる分が終わったら、あとはゆっくり」——数字と構造が符合しています。
⑤明日の臨床へ
- 研磨したエナメル質では、5万回磨いても失われたのは0.7µmだった——この実験が言っているのはここまでです。「だから何年磨いても平気」とは、この論文からは言えません(後述)
- 個人差が大きい:標準偏差を見てください。5万回で82±21µgです。著者らは「試料間にかなりの生物学的変動がある」と抄録に明記しています。全員に同じ答えを返せない、ということです
- この話は健全なエナメル質に限られます。酸で軟化した面、象牙質が露出した根面はまったく別の土俵です(著者らも「本研究は研磨したエナメル質に限る」と冒頭で断り、象牙質の摩耗は別の研究群だとしています)
- (これは本論文の範囲外の一般論ですが)患者さんへの説明としては、歯ブラシと歯磨剤による健全エナメル質の摩耗そのものより、力の入れすぎによる歯肉の退縮や、露出した根面・酸性の飲み物のほうを先に見る、という順序が実際的でしょう
今日のひとこと
研磨したエナメル質を歯磨剤スラリーで磨くと、500回で0.2µm、1万回で0.4µm、3万回で0.6µm、5万回で0.7µmの層が失われた。削れ方は最初が速く、その後ゆるやかになる。ただしこれはペリクルの無い研磨面での話で、原著は「何年分か」への換算を一切していない。


