深在性う蝕と露髄した歯髄の管理について、欧州歯内療法学会(ESE)の専門委員会が合意としてまとめたポジションステートメント(ESE 2019・Int Endod J)
深いう蝕を前にして、どこで手を止めるか。この判断は長いあいだ、術者ごとの流儀に委ねられてきました。2019年、欧州歯内療法学会の専門委員会が、用語の定義から露髄後の処置、材料、経過観察まで、現時点で合意できるところを一枚の文書にまとめています。読んでいて印象的なのは、推奨の強さより「まだ決着していない」と書いてある箇所の多さでした。
①「全部取ってから詰める」を、いつやめたか
深いう蝕を削っていて、そろそろ露髄しそうだと感じる。そこで手を止めるか、もう一段削るか。この判断を、私たちは学生時代に明確な形では教わっていません。
教わったのは「感染象牙質は取り切る」でした。取り残せば内側でう蝕が進む。だから硬い象牙質が出るまで削る。露髄したら覆髄するか、抜髄する。長いあいだ、それが標準でした。
その標準は、もう標準ではありません。欧州歯内療法学会(ESE)は2019年、専門委員会の合意として「深在性う蝕において非選択的除去(全部取る)はもはや第一選択とみなされない」と書いています。過剰治療にあたる、という2016年の合意(Schwendicke ら)を引き継いだ立場です。
この文書は研究論文ではありません。ESEが招集した専門委員会が、現時点で何が言えて何が言えないかを整理した「合意の記録」です。だから読み方も変わります。数字の大小より、どこに線を引いたか、そしてどこに線を引けなかったかを見ていきます。
②まず言葉を揃えた——「深い」と「極めて深い」は違う
合意文書がいちばん最初にやったのは、用語の定義でした。会話が噛み合わないのは、たいてい言葉のせいだからです。
もうひとつ、露髄の分類も新しく置かれました。クラスI=健全象牙質を通しての露髄(外傷・医原性)で、下の歯髄は健康だと期待できるもの。クラスII=深在性う蝕があり、細菌汚染された層を通しての露髄で、下の歯髄は炎症していると想定すべきもの。同じ「露髄」でも、この2つは扱いが違うという整理です。
③露髄を避ける側——数字は何を示していたか
合意の土台になった数字がこれです。3年で、選択的除去1回法が90%、stepwise(2回法)が70%。これはMaltz 2012という同一のランダム化試験の2群です。5年では、stepwiseが60%、非選択的除去が46%——こちらもBjørndal 2017という同一のランダム化試験内の直接比較。選択的除去1回法の5年生存率80%(Maltz 2017)だけが別研究の数字で、他と横並びには読めません。
ただしESEは、この3本を足し合わせても結論は出ないと書いています。「選択的1回法とstepwiseは、ランダム化試験で適切に比較されたとは言えない」。Maltz 2012ではstepwise群の多くが2回目の来院に来ず、比較が難しくなっていました。試験が無いのではなく、比較として成立していない、というのがESEの評価です。
数字とは別に、実務的に効いてくる指摘がひとつありました。1面(咬合面)のう蝕は、2面以上のう蝕より予後が良い。辺縁封鎖を作りやすく、患者側も清掃しやすいからだろう、とESEは推測しています。
適応の線引きはこうです。症状が無いか、可逆性歯髄炎の徴候にとどまり、エックス線でう蝕が歯髄側1/4を越えていない歯。逆に、自発痛や持続痛がある歯、温度診で反応が強く長引く歯(不可逆性歯髄炎の疑い)は、露髄を避ける術式の適応から外れます。
④露髄した側——「取り切ってから」が復権している
意外だったのはここでした。非選択的除去(全部取る)で露髄させたうえで、現代型のプロトコルで覆髄する——この組み合わせで高い成功率が複数の研究から報告されている、とESEは書いています。
現代型のプロトコルとは、具体的に3つです。①硬化性ケイ酸カルシウムセメント(水酸化カルシウムではない)②拡大鏡・マイクロスコープ ③消毒剤の使用。この3点を揃えた研究群と、揃えていない古典的な覆髄の研究群で、成績が大きく違っている。ESEはそこに違いの説明を求めています。
さらに術者にとっての利点として、こう書かれています。歯髄を扱い慣れた術者にとっては、非選択的除去と露髄は「歯髄のダメージ・髄室内の壊死・出血の様子・う蝕の本当の広がり」を直接目で評価する機会になる。削り残せば、それは見えません。
そして部分断髄(partial pulpotomy)が、単なる直接覆髄より好まれる場面も示されています。露髄後にさらにう蝕除去が必要なとき——感染象牙質の削片を歯髄に押し込む危険があるため、先に表層の歯髄ごと取ってしまう方が安全だ、という理屈です。
いちばん踏み込んだのは全部断髄(full pulpotomy)の扱いでした。不可逆性歯髄炎の徴候がある歯でも、1年成功率75〜95%という報告が複数ある。炎症が冠部歯髄に限局している「部分的不可逆性歯髄炎」なら、抜髄せずに済むかもしれない。ただしESEは、これを第一選択にするには長期の前向きランダム化データが足りないと釘を刺しています。
⑤明日の臨床へ
①「深い」と「極めて深い」を、削る前に言葉にする。エックス線で歯髄側1/4に硬い層が残っていれば深在性う蝕=露髄を避ける術式の適応。全層を貫通していれば極めて深いう蝕=露髄を前提に組み立てる。ここを決めてから器具を持つと、途中で迷わなくなります。
②選択的除去は「辺縁も残す」ではない。窩洞の辺縁は硬い象牙質まで削り切る。残すのは歯髄側だけ。ESEはこれを「最適な接着と封鎖のため」と明記しています。残すべき場所を間違えると、封鎖そのものが甘くなります。
③露髄したら、5分ルールを覚えておく。NaOClかCHXを含ませた綿球で止血を試み、5分で止まらなければ歯髄をもう一段除去する。止血できない歯髄は、そこで見切りをつける材料になります。
④材料はケイ酸カルシウム系に寄せる。露髄面には硬化性ケイ酸カルシウムセメント(水酸化カルシウムではない)。露髄していない深部象牙質には、ケイ酸カルシウム系でもグラスアイオノマーでもよい——この2つの優劣はまだついていないとESEは書いています。レジン系接着材とコンポジットレジンを露髄面に直接使うのは、細胞毒性・創面に象牙質が形成されないこと・臨床成績が悪いことの3つを理由に禁忌とされています。
⑤経過観察の型を決める。ESEの推奨は6か月で問診・臨床診査、1年でデンタルエックス線。以後は必要に応じて、そこからさらに4年間は年1回。冷刺激と電気歯髄診で反応を追う。ただし全部断髄した歯は反応しないのが正常——ここを失敗と読み違えないこと。
⑥無菌操作は、露髄したときだけの話ではない。ESEの主要推奨のひとつが無菌管理で、「歯髄が露出していてもいなくても、深在性う蝕の処置の全過程を通じて」歯面消毒・滅菌操作・ラバーダムを使うべきだと書かれています。削り始める前から始まっている工程です。
⑦CBCTは、歯髄の炎症を見るためには撮らない。ESEは「歯髄の炎症状態の評価にCBCTの日常的使用は正当化されない」と明言しています。判断材料は、詳細な疼痛歴・視診・低温での冷温診+電気歯髄診・質の良いデンタルエックス線です。
⑥ここだけ、冷静に補助線
今日のひとこと
ESEは「深在性う蝕では非選択的除去(全部取る)はもはや第一選択ではない」という立場を明確にした。露髄を避けたい歯には選択的除去(1回法またはstepwise)を、露髄したら硬化性ケイ酸カルシウムセメントを直接置くクラスII覆髄か部分断髄を。歯髄の炎症が冠部に限局した「部分的不可逆性歯髄炎」なら全部断髄も選択肢に入る。ただしESE自身が、1回法とstepwiseはランダム化試験で適切に比較されたとは言えないこと、露髄後の有望な成績が一次医療の現場で再現できるかは未解明であること、全部断髄の長期データが不足していることを明記している。合意とは「ここまでは言える」の線引きであって、決着した話の一覧ではない。


