カリオロジー|戦後日本の砂糖消費・う蝕の急増・栄養条件(1961年シンポジウム講演)
糖とう蝕の関係を説明するとき、ヴィポホルム研究やトゥーレラウ研究を引くことが多いと思います。でも、日本にもひとつ、意図せず起きてしまった「自然実験」がありました。1945年、日本人の砂糖消費量は1人1日あたり0.44 g。8年後の1953年には47.2 gになっています。そして乳歯のう蝕は、そのカーブに約2年遅れてついてきました。
①糖とう蝕の話に、日本の自然実験がある
糖の話をするとき、引くのはたいていヴィポホルム研究かトゥーレラウ研究だと思います。どちらも海外の、意図して行われた研究です。
ですが、日本にも「意図せず起きてしまった実験」がありました。戦争によって砂糖が消え、戦後に一気に戻ってくる。その前後で、子どもの歯に何が起きたか。1961年、ハワイ大学で開かれた第10回太平洋学術会議のシンポジウムで、東京医科歯科大学の柳金太郎教授が、その記録を並べて報告しています。
最初にお断りしておくと、これはシンポジウムの講演を活字にしたもので、著者自身の一次データではありません。国民栄養調査、文部省の学校保健統計、そして国内の複数の研究者の報告を集めて論じたナラティブな総説です。因果を証明する設計ではありません。それでも、60年以上前の日本の口の中の記録として、いま読む値打ちがあります。
②1945年の日本人は、砂糖を1日0.44 gしか食べていなかった
- 1945年(昭和20年):0.44 g
- 1946年:0.8 g/1947年:1.1 g
- 1948年:9.1 g——前年の8倍以上
- 1950年:14.9 g/1951年:17.8 g/1952年:24.9 g
- 1953年(昭和28年):47.2 g
0.44 gというのは、角砂糖1個(約3〜4 g)を1週間かけて食べるようなペースです。それが8年で1日47.2 g=角砂糖十数個分になった。これほど急な変化を、人為的に作ることはできません。
そして瀬戸の報告として、こう書かれています。「日本の砂糖消費は前の世界大戦の終結後に急激に増加し、1人あたりのう蝕乳歯数がこのカーブに並行して急激に増加した。永久歯のう蝕もわずかに2年ほど遅れてこれに続いた。一方、戦時中は日本人のう蝕は概して著しく減少していた」。
グラフIIには「6歳児で追跡。影響は2年後に現れる(Influence appears 2 years later)」と注記されています。砂糖が増えてから、乳歯のう蝕が増えるまでのタイムラグが2年——という読み取りです。榊原も、神奈川県のおよそ500の小学校の学校保健記録から、同じ関係を認めたとされています。
③1959年の日本の子どもの口
- 幼稚園(513,955名):う蝕あり 88.9%/処置済み 5.0%
- 小学校(10,301,992名):81.6%/処置済み 2.0〜12.0%
- 中学校(3,409,700名):70.4%/処置済み 15.0〜16.0%
- 高校(2,056,695名):67.9%/処置済み 18.0〜25.0%
- 大学(245,431名):67.9%/処置済み 35.0〜40.0%
国民栄養調査(1958年)からも、同じ絵が描かれています。う蝕の発生は2〜4歳という早い時期にすでに男女とも約60%に達し、年齢とともに徐々に増える。ただし生え変わりの時期に一度わずかに下がり、その後また増えていく——グラフIでは15〜19歳で一度谷になり、そこから再び上がる曲線が描かれています。
④栄養の話は、砂糖だけではなかった
この講演のタイトルは「Dental Caries and Nutrition(う蝕と栄養)」です。砂糖はその一部でしかありません。当時の日本で報告されていた「栄養とう蝕」の話が、いくつも並んでいます。
- 名倉:東京の5歳児164名から得た乳歯273本を組織学的に調べ、成熟して生まれた児の歯は、低体重で生まれた児の歯より石灰化が良好で、石灰化の良い歯は明らかにう蝕に抵抗性が高かった
- 豊田・熊坂:母親のDMFと新生児の低体重に高い相関——栄養不良の母親は概してDMFが高い
- 瀬戸(K.):155家族を調べ、夫婦間には相関がないが、親子のDMFには明確な相関があった。しかも詳細な解析では、母親側より父親側からの相関のほうが密だった
- 菅:人工太陽光を使ったラット実験で、ビタミンDが歯の石灰化、ひいてはう蝕予防の有力な因子であることを示した
- ビタミンAとC:何らかの病因的関係があるはずだが、この時点では確定的な統計データも実験データも提示されていないと、著者は正直に書いている。ただし著者自身が歯槽膿漏31例で、ほぼ全例においてビタミンCだけが低下しており、他のビタミンはほぼ正常範囲内だったことを見出している
「夫婦間には相関がないが、親子には相関がある」という一文は、いま読むと味わいがあります。当時は遺伝の証拠として提示されたのでしょうが、いまならミュータンス菌の母子伝播や、家庭内の食習慣の共有という説明のほうが先に浮かびます(そして父親側との相関が強いという所見は、そのどちらでも説明しにくい)。同じデータでも、時代によって読みが変わる——ここは面白いところです。
⑤農村・山村・漁村で、差があった
- 農村:60.3%/漁村:53.7%/山村:53.3%——農村がもっとも高かった
- ただし年齢層で順位が入れ替わります。15〜17歳では山村65.1%・農村64.8%・漁村58.1%と、漁村がもっとも低い
- 著者は「年長の男女では、農村と山村のDMFがともに高く、漁村だけが著しく低かった」とまとめています
なぜ漁村が低いのか——この講演では説明されていません。魚食の多さなのか、砂糖の入手しやすさの違いなのか、それとも別の要因なのか。仮説すら書かれていないのは、むしろ誠実だとも言えます。
そして最後の一文が、この講演の結論のすべてです。「以上に述べた事実は、栄養条件がう蝕の発生に何らかの明確な関係を持つことを示すには十分だろう」。「示すには十分」ではなく「何らかの明確な関係を持つことを示すには十分」——踏み込みすぎない書き方をしています。
⑥明日の臨床へ——60年前の記録を、何に使うか
- 患者さんに「昔の日本は虫歯が少なかった」と言われたときの材料になります。少なかったのは事実で、その時期は砂糖が手に入らなかった時期と重なっていた——という説明ができます
- 効果が出るまでのタイムラグを、あらかじめ伝える。「間食を減らしたのに、次の健診でまた虫歯が見つかった」という落胆は、そのタイムラグを説明していないと起こります
- 「治療されていない虫歯」という視点。1959年の幼稚園児は88.9%にう蝕があり、処置済みは5.0%でした。有病率だけでなく未処置率を見る目は、いまの地域格差の議論にもそのまま効きます
- 石灰化の質という古い論点。名倉の「低体重で生まれた児の歯は石灰化が悪く、う蝕に弱い」という組織学的観察は、いまのMIH(臼歯切歯石灰化不全)の議論と地続きに見えます
まずこれはシンポジウムの講演であり、原著論文ではありません。著者自身の一次データはほとんどなく、他の研究者の報告を並べたナラティブな総説です。方法の記載も、統計解析も、批判的吟味もありません。引用するなら、それぞれの元の報告を当たるのが筋です。
そして生態学的研究の限界がそのまま当てはまります。砂糖消費と、う蝕の増加が同じ時期に起きたことは示せても、それが同じ人の中で起きたことなのかは、集団の統計からは言えません(生態学的誤謬)。戦後の日本では同時に、食糧事情・住環境・医療体制・受診行動のすべてが変化しています。砂糖だけを取り出すことは、このデータではできません。
数字にも読みにくい箇所があります。表IIIには1949年の値が載っていません。表IVの年齢区分は行によって「8—8」「9—14」など不整合で、おそらく「6—8」「9—11」の誤植です。診査法も「早期のう蝕は探針の鋭い先端で触知する方法を好む」と書かれており、いまの基準(探索は避け、視診と乾燥、必要ならX線)とは別物です。この時代の有病率を、いまの数字と直接比べることはできません。
それでも、戦争という誰も望まなかった条件が作った「砂糖のない数年間」の記録は、他では手に入りません。ヴィポホルム研究のような研究は、いまはもう倫理的に実施できません。だからこそ、こうした偶然の記録の値打ちが残るのだと思います。
今日のひとこと
大蔵省統計による砂糖消費量は、1人1日あたり 1945年0.44 g → 1948年9.1 g → 1953年47.2 g。8年で約107倍になった。瀬戸の報告では、乳歯のう蝕本数がこのカーブに並行して急増し、永久歯は2年ほど遅れて追随した。逆に戦時中は、日本人のう蝕が著しく減っていた。1959年の文部省統計では、幼稚園児の88.9%にう蝕があり、処置済みはわずか5.0%。生活環境別では農村60.3%・漁村53.7%・山村53.3%と農村が最も高かった。ただしこれは1961年のシンポジウム講演で、著者自身の一次データではなく他者の報告を並べたものである。因果を示す設計ではない。


