1問1答 論文 虫歯

5万回磨いて、削れたのは0.7µm——エナメル質を放射化して測った摩耗量

1問1答 論文 虫歯

カリオロジー|歯磨剤の研磨性・エナメル質の摩耗・放射化トレーサー法

「歯磨き粉で歯が削れませんか」。診療室で必ず出る質問です。答えるにはまず「1回磨くとどれだけ減るのか」を知らないといけません。オランダのユトレヒト大学とフローニンゲン大学のグループが、ヒトのエナメル質を原子炉で放射化し、ブラッシング機械で削り、流れ出た放射能を数えるという方法でこれを測っています。1983年の、地味で執念深い一本です。

論文
Abrasion of Enamel. I. An in vitro Investigation
著者
Slop D, de Rooij JF, Arends J
掲載
Caries Res. 1983;17(3):242-248
種類
in vitro(ヒト抜去上顎中切歯の研磨エナメル質・放射化トレーサー法・最大 n=13)
PMID
6573965

「歯磨き粉で歯が削れませんか」に、数字で答えたい

診療室で必ず出る質問です。「研磨剤が入っていると削れるのでは」「電動ブラシは強すぎませんか」。

答えるには、まず1回磨くとどれだけ減るのかを知る必要があります。ところが、これがなかなか測れません。エナメル質の摩耗は、1回あたりナノメートルの世界です。直接秤にかけて追える大きさではありません。

そこでこの研究が採った方法が独特です。エナメル質そのものを原子炉で放射化し、削れて流れ出た放射能を数える。削られた側ではなく、削り取られたスラリー側を測るという発想です。

先に結論: 研磨したエナメル質を歯磨剤スラリーで磨くと、500回で0.2µm、1万回で0.4µm、3万回で0.6µm、5万回で0.7µmの層が失われた。ストローク数が100倍になっても、削れた量は約3倍にとどまる。削れ方は最初が速く、その後ゆるやかになる。

放射化して、機械で磨いて、流れ出た分を数える

  • 試料25〜40歳の患者から抜去した上顎中切歯。頬側面の中央1/3から直径5mmの円形試料を切り出し、レジンに包埋。解剖学的表面から50〜100µmを削り落として平坦に研磨(全面で±1µm以内)
  • 放射化:オランダ・ペッテンの原子炉で3×10¹² n/s/cm² を150分照射。実験は照射の7日後(短寿命核種の減衰を待つ)。主な線源は³²P
  • ブラッシング機械:英国規格協会の歯磨剤試験仕様(BS 5136, 1974)を改造。ナイロン毛(径0.28mm・長さ11mm)のブラシ、荷重200g毎分346ストロークストローク幅37mm。8試料を同時に磨く
  • スラリー:市販歯磨剤(研磨剤=炭酸カルシウム・平均粒径7µm)を水7g+歯磨剤3gで調製。容器はペルスペックスの一体成型で、沈殿が起きないよう設計
  • 測定:一定回数ごとにスラリーを1mL採取し、乾燥させてガイガー・ミュラー計数管で1000秒計測。バックグラウンドと³²Pの減衰を補正

細かいところに執念があります。スラリーの均一性を確かめるため、試料の真上・ブラシが折り返す2か所の計3点から採取して比較し、場所による差が無いことを確認しています(原著Table II)。

結果——最初は速く、すぐにゆるやかになる

0 36.7 73.3 110 削り取られたエナメル質の量 (µg) 27 51 74 82 87 97 500回 1万回 3万回 5万回 7万回 9万回 500回27±11µg(n=10)/1万回51±17(n=13)/3万回74±17(n=12)/5万回82±21(n=12)。7万回はn=2、9万回はn=1で灰色にした。3万回と5万回の差は有意でない
削り取られたエナメル質の量(µg)。500回27±11µg(n=10)/1万回51±17(n=13)/3万回74±17(n=12)/5万回82±21(n=12)。7万回・9万回は試料数が2・1と少ないため灰色にした

削り取られた量は、ストローク数とともに増えます。ただし比例しません

  • 500回と1万回の間、1万回と3万回の間には有意差あり(p<0.05)
  • 3万回と5万回の間は有意差なし——このあたりで頭打ちになっています
  • 初期の削れる速さは500回あたり約25µg(100回あたり約5µg)。試料の表面積は約0.4cm²なので、100回あたり約12.5µg/cm²
0 0.3 0.6 0.8 失われたエナメル質の層の厚さ (µm) 0.2 0.4 0.6 0.7 500回 1万回 3万回 5万回 ストローク数が100倍になっても、削れる厚さは3.5倍にしかならない。削れ方は最初が速く、その後ゆるやかになる
失われた層の厚さに換算した値。削れた質量を、エナメル質の平均比重2.95と試料の表面積(約0.4cm²)で割って層の厚さに換算している

厚さに直すと、こうなります。500回で0.2µm、1万回で0.4µm、3万回で0.6µm、5万回で0.7µm

ストローク数が100倍(500→5万)になっても、削れた量は約3倍にとどまります(質量で27→82µg。層の厚さでは0.2→0.7µm)。

なぜ、途中から削れなくなるのか

著者らの説明は、エナメル質の構造に踏み込みます。

エナメル質は、硬い結晶(クリスタライト)が、柔らかい有機質のマトリクスに埋まった構造をしています。

  • 1万回まで硬い結晶が、柔らかい有機質から優先的に引き抜かれていく。研磨の工程ですでに緩んでいた部分でもある。だから速い
  • 2万回を超えると削れ方を決めるのは有機質のマトリクスのほうになる。ここで直線的な挙動に変わる

そして1万回で削れた0.4µmという値は、結晶1本の長さ(約1µm)と同じ桁です。「引き抜かれる分が終わったら、あとはゆっくり」——数字と構造が符合しています。

明日の臨床へ

  • 研磨したエナメル質では、5万回磨いても失われたのは0.7µmだった——この実験が言っているのはここまでです。「だから何年磨いても平気」とは、この論文からは言えません(後述)
  • 個人差が大きい:標準偏差を見てください。5万回で82±21µgです。著者らは「試料間にかなりの生物学的変動がある」と抄録に明記しています。全員に同じ答えを返せない、ということです
  • この話は健全なエナメル質に限られます。酸で軟化した面、象牙質が露出した根面はまったく別の土俵です(著者らも「本研究は研磨したエナメル質に限る」と冒頭で断り、象牙質の摩耗は別の研究群だとしています)
  • (これは本論文の範囲外の一般論ですが)患者さんへの説明としては、歯ブラシと歯磨剤による健全エナメル質の摩耗そのものより、力の入れすぎによる歯肉の退縮や、露出した根面・酸性の飲み物のほうを先に見る、という順序が実際的でしょう
ここだけ、冷静に補助線 — 大事な限界が3つあります。第一に、これはペリクル(獲得被膜)の無い、研磨したエナメル質です。著者らは「本研究はペリクルのないエナメル質のみを扱った」と明記しています。口の中では常にペリクルが覆っていて、それ自体が保護層として働きます。第二に、解剖学的表面から50〜100µmを削り落とした面を測っています。天然の最表層(フッ素が多く、より耐酸性が高い層)ではありません。第三に——これが最も注意すべき点ですが——原著は「5万回が何年分にあたるか」を一切書いていません。機械のストロークと実際のブラッシングの対応づけはこの論文の範囲外です。「5万回=数年分」という言い方は原著の主張ではないので、そのまま患者さんに伝えないほうが安全です。加えて、後半の7万回(n=2)・9万回(n=1)は試料数が少なく、傾向以上には読めません。この論文は表題どおり「I. in vitro研究」であり、シリーズの1本目です。

今日のひとこと

研磨したエナメル質を歯磨剤スラリーで磨くと、500回で0.2µm、1万回で0.4µm、3万回で0.6µm、5万回で0.7µmの層が失われた。削れ方は最初が速く、その後ゆるやかになる。ただしこれはペリクルの無い研磨面での話で、原著は「何年分か」への換算を一切していない。

Slop D, de Rooij JF, Arends J. Abrasion of Enamel. I. An in vitro Investigation. Caries Res. 1983;17(3):242-248. PMID: 6573965
本記事は論文の要点を医療従事者向けにまとめた解説です。臨床判断は原著と最新のエビデンスをご確認ください。