顎関節症(TMD)|米国ナショナル・アカデミーズの18人の委員会が、文献と患者・専門家の証言を検討してまとめた合意調査報告書(2020年・426ページ)。研究・ケア・教育・啓発の4領域で11の勧告を示した。新しい患者データを集めた研究ではなく、米国の制度を前提にした合意文書
顎が痛い患者さんに、まず咬合を見てスプリントを作る。そう習った方は多いと思います。2020年、米国のナショナル・アカデミーズは顎関節症(TMD)について11の勧告をまとめた合意報告書を出しました。委員会は、TMDは30以上の病態の集まりで生物心理社会モデルで診るのが最も根拠に合うとし、咬合を原因や治療目標として重く見る考え方から離れる努力が、臨床と歯科教育の両方で必要だと書いています。咬合を変える治療(補綴などで顎位を変える咬合調整、歯を削る咬合平衡化)は、多くの研究が行われたのに有効と確認されていない(結論5-4)。一方、口腔内装置(スプリント)は「小さな利益があるかもしれないが根拠は弱く、結果も割れている」という位置づけで、否定はしていません。ただし、これは専門家委員会の合意文書で、新しい試験の結果ではありません。米国の報告書で、日本の制度や保険診療にそのまま当てはまるものでもありません。
①顎関節症は「歯科だけの問題」? 咬合を治せばよくなる?
顎が痛い、口が開かない。そう訴える患者さんに、まず咬合を見て、スプリントを作る。そう習った方は多いと思います。2020年、米国のナショナル・アカデミーズ(科学・工学・医学アカデミー)が、顎関節症(TMD)について426ページの合意調査報告書を出しました。そこで委員会が歯科に向けて書いたことは、かなり重い内容です。
先に断っておきます。これは新しい患者データを集めた研究ではなく、専門家委員会が文献と証言を検討してまとめた合意文書です。そして米国の報告書です。勧告の宛先は米国の機関・学会・保険制度で、日本の制度や保険診療にそのまま当てはまるものではありません。
・委員会は11件の勧告を、研究(勧告1〜4)、ケアの質とアクセス(5〜8)、医療者の教育(9〜10)、啓発とスティグマの軽減(11)の4領域で示した
・土台にある立場は、TMDは30以上の病態の集まりで、生物心理社会モデルで診るのが最も根拠に合う、というもの(Summary p.1、結論2-3)
・歯科にとっていちばん重い合意点は、咬合をTMDの原因や治療目標として重く見る考え方から離れる努力が、臨床にも歯科教育にも必要だと書いたこと(第2章 p.53)
・咬合を変える治療(補綴などで顎位を変える咬合調整、歯を削る咬合平衡化)は、研究が多く行われたのに有効と確認されていない(結論5-4)。一方で、ほとんどの治療は根拠のデータそのものが足りない(結論5-5)
②どう作られた報告書か
・委員会:18人。公衆衛生、疼痛医学、基礎・臨床研究、患者支援、理学療法、歯科、口腔顎顔面外科、内科、リウマチ科、看護、精神医学、法律など
・依頼元:米国国立衛生研究所(NIH)の所長室と、国立歯科・頭蓋顔面研究所(NIDCR)
・材料:科学文献の検討に加え、患者さんと家族110人を超える人からの証言・意見書、研究者・臨床家・政策担当者・研究資金の提供者などからの情報収集(公開ワークショップを含む)
・査読:草稿は外部の専門家が独立して査読。ただし査読者は結論や勧告への賛同を求められておらず、最終稿も見ていない
・治療の章は系統的レビューではなく、公表されたデータの要約だと報告書自身が断っている(p.205)
背景として挙げられた数字は1つだけ紹介します。2018年に、米国の成人の推定4.8%(推定1,120万〜1,240万人)が、TMDに関連しうる顎関節周辺の痛みを抱えていたという分析です(p.1、結論3-1)。ここでの痛みは、過去3か月に丸1日以上続いた、顔面・顎の筋肉・耳の前の関節の痛みを指します(p.85〜86)。これは全国健康面接調査(NHIS 2017〜2018年)の自己申告の症状に基づく推定で、診察で確かめた診断ではありません。質問がTMDに特化していないため多めに出る可能性があることも、報告書は脚注で認めています(p.82)。
患者さんの証言からは、医科と歯科の間をたらい回しにされる、治療が効かないと紹介もなく見放される、手術を重ねても良くならない、手術はなくても口腔内装置・矯正・補綴を受けてきた、費用の多くが自己負担になる、といった声がまとめられています(p.2〜3)。
③合意したこと:11の勧告の全体像
・研究(勧告1〜4):全国の共同研究コンソーシアムを作り、基礎研究と橋渡し、集団ベースの研究(負担と費用)、臨床研究(共通のデータ項目、実践的な試験、全国の患者登録の検討)を進める
・ケアの質とアクセス(勧告5〜8):診断・スクリーニング・リスク層別化の道具(危険な徴候のリストを含む)、歯科医とプライマリケア向けの根拠に基づく診療ガイドラインと質の指標、保険の償還の見直し、TMD・口腔顔面痛の専門拠点
・医療者の教育(勧告9〜10):医学・歯学・看護・理学療法の教育課程の強化、歯学部の認証基準と免許試験の見直し、生涯研修を根拠に基づくものにする。口腔顔面痛を歯科の専門分野として認める
・啓発(勧告11):患者さん・家族向けの根拠に基づく情報とツールを整え、スティグマを減らす
第8章では、多くの勧告に「短期」と「中〜長期」の実行項目が分けて書かれています。すぐ動けるものと、複数の組織と資金が要るものを区別するためです(p.6、p.322)。
④歯科にとっていちばん重い合意点:咬合中心からの転換
この記事が軸にしたのはここです。委員会は第2章で、歯科が長年、咬合をTMDの原因とみなし、診断の基準にし、咬合を変える治療を重視してきたと振り返ったうえで、次の趣旨を書いています。
・咬合のずれがTMDの重要な要因だという十分な根拠は見当たらない。系統的レビュー、主要な教科書、総説が一貫して同じ結論に達している(p.52)
・現在の実験的な根拠、総説、そして咬合理論の弱さからみて、咬合はよくあるTMDの寄与因子とみなすべきではない。ただし、歯の構造がTMDに関わる範囲については、概念の整理から始める新しい研究が要るとも書いている(p.54)
・咬合を原因あるいは治療目標として重視する考え方から離れる努力が、臨床と歯科教育の両方で必要(p.53)
・TMDに対する咬合の治療には、支持する根拠がない(p.53)
・咬合調整と咬合平衡化は、かなりの研究が行われてきたが、有効とは確認されていない(結論5-4、p.241)。報告書の定義では、咬合調整は固定性のクラウンや可撤式の装置を足して上下の顎の位置関係を変えること、咬合平衡化は咬合面のエナメル質を削ること(選択削合)を指す(p.212)
・一般歯科医のほとんどと専門医の多くは、TMDと口腔顔面痛の教育が足りておらず、それが一貫しない治療、ときに有害で不要な治療につながっている。歯科教育の転換が急務(結論6-4、p.275)
根拠として置かれた研究を、いくつか挙げます。どれも委員会が引用した個別の研究で、報告書が新たに解析したものではありません。
・Clark ら(1999):実験的な咬合干渉を扱ったヒト18件・動物10件の研究を検討した総説。干渉がTMDを起こしたという根拠は見つからなかった(p.52)
・Pullinger ら(1988)ほか:米国の研究で、TMDと関係のあった咬合の特徴5つを合わせても、徴候・症状のばらつきの5%しか説明しなかった(p.52〜53)
・咬合調整(上の定義)のコクラン・レビュー(2003):調整した群と対照群に差なし。ただしこのレビューは古く、現在の方法論の基準を満たさないとして2016年に取り下げられている(p.212)
・咬合平衡化(選択削合):2018年の文献の評価(Manfredini)で、使用を支持する根拠は見つからなかった(p.212)
・矯正治療:TMDの症状を減らす効果について、臨床の判断材料になるデータが足りない(コクラン 2010。これも2016年に取り下げ)。矯正で歯を動かしてもTMDの発症は防げないという根拠は、数十年前から明確(p.201、p.212)
・歯科医のウェブサイト255件の調査(Desai ら 2016):TMDの「専門」をうたうサイトの66.7%がTMDの原因を咬合の問題とし、54.5%が咬合へのアプローチを勧めていた(p.276)
では、何から始めるのか。委員会の答えは、生物心理社会モデルで、保存的で侵襲の少ない方法からです(結論5-4 p.241、p.269)。
・セルフマネジメント:慢性の痛みで成績を良くするという強い根拠がある。ただしその多くはTMDに特化した根拠ではない(p.205)。TMD・慢性口腔顔面痛では、療法士が導く認知行動療法やバイオフィードバックを調べたランダム化試験14件の系統的レビュー(Aggarwal ら 2019)が、長期の痛みの強さなどで対照より良いと報告(p.207〜209)
・口腔内装置(スプリント):痛みの管理に小さな利益があるかもしれないが、根拠は全体に質が低く、結果も割れている。作用の仕組みは分かっていない。ランダム化試験30件のメタ解析(2017)では、スタビライゼーション型のスプリントは短期の痛みには利益、長期の成績は他の治療と差なし(p.214〜216)
・理学療法(運動、徒手療法):痛みと機能を改善したという報告はあるが、質の低い研究が多い(結論5-3)
・手術:適切に選ばれた患者さんには今も重要な治療。ただし、第一選択になる人は少ない(p.199)
・全体として、ほとんどの治療は、使うことを支持する根拠も否定する根拠も弱い(p.205、結論5-5)
大事な点を1つ。報告書はスプリントを否定していません。咬合を変えない装置と、歯や咬合を変える治療(補綴などで顎位を変える咬合調整・歯を削る咬合平衡化・矯正)を、はっきり分けて書いています(p.213〜214)。手術も否定していません。
⑤まだ分かっていないこと
・どの診断に、どの治療が効くのか。DC/TMDの分類ごとに最も有効な治療を示す実証的な根拠は、今のところない(p.202)
・根拠に基づく正式な診療ガイドラインは、まだ存在しない(p.204、p.235)。だから勧告6で作成を求めた
・スプリントなど口腔内装置の害は、系統的に調べられていない。咬合や歯の位置の変化、装置への依存などは、経験として語られている段階(p.216)
・個々のTMDの有病率、急性の痛みが慢性へ移る過程、どの患者さんが重症化するかを見分ける方法
・医科と歯科にまたがる専門分野をどう作るか。委員会は、職種をまたぐ道筋を見つけられなかったと書いている(p.278)
⑥明日の臨床へ
・TMDとそのケアの根拠について、最新の知識を保つ
・患者さんに根拠に基づく情報を伝え、受診の道筋を案内する
・他の職種と関係を作り、連携したケアを行う
・顎の痛みの初診で、咬合を「原因」として説明する前に、痛みの経過、他の部位の痛み、睡眠や気分を聞く。報告書は、痛みの病歴が診断と治療選択の鍵だと書いています(p.203)
・最初の一手は、説明とセルフケアの指導。歯を削る・補綴で咬合を変える・矯正で治すといった元に戻せない治療を、TMDの最初の治療にしない
・スプリントを使うなら、「咬合を治す装置」ではなく、痛みの管理の選択肢の1つとして説明する
・長い修復処置では、開口を保つ補助具(バイトブロック)を使う。報告書は、こうした軽い外傷がTMDの原因だと確かめたデータはないとしたうえで、予防になりうる簡単な工夫の例として挙げています(p.201)
・良くならないとき、広い範囲に痛みがあるときに、医科や口腔顔面痛の専門外来へつなぐ先を決めておく
米国の報告書である点も大事です。勧告の宛先は、NIH、米国歯科医師会(ADA)、歯学教育の認証機関(CODA)、メディケア・メディケイドなどで、医科と歯科の保険が分かれた米国の制度が前提です。有病率4.8%も米国の自己申告の調査からの推定で、日本の数字ではありません。
依頼元はNIHの所長室とNIDCRです。報告書は、見解は支援した機関のものとは限らないと明記しています。付録Bは委員の経歴の紹介で、利益相反の開示欄は見当たりません。経歴からは次の関わりが読み取れます。委員の1人は American Chronic Pain Association の創設者・代表で、同団体は勧告6・11で取り組みを主導する団体に挙がっています。別の委員は、TMDの新しい診断基準の開発を研究目標の1つとし、INfORM の前身組織を共同で設立して率いた研究者で、INfORM は勧告5・6の主導団体に挙がっています。報告書は DC/TMD を幅広い臨床の場で使うのに適切と結論しています(結論5-1)。有病率4.8%の出所は、委員会が委託した論文(Slade と Durham、付録C)です。
この記事が読んだのは、Summary(全文)、勧告の第8章、第2章の咬合の節、第3章の有病率と費用の節、第5章の治療と診療ガイドラインの節、第6章の歯科教育と専門医制度の節、付録B(委員の経歴)です。基礎研究の第4章や薬物・外科の各論は扱っていません。
それでも、歯科医・疼痛医・外科医・患者支援の立場が同じ席で「咬合中心から離れ、保存的な方法から始め、教育を変える」と合意した意味は大きいと思います。自分の初診の説明を見直すきっかけにしたい1冊です。
今日のひとこと
この報告書が合意したのは、顎関節症は歯科だけの問題ではなく、咬合を原因や治療目標として重く見る考え方から離れ、生物心理社会モデルで、保存的な方法から始めるという方向です。咬合を変える治療(補綴で顎位を変える・削合)は有効と確認されておらず、スプリントは小さな利益があるかもしれないが根拠は弱い、という位置づけでした。歯を削る・咬合を変えるといった元に戻せない治療を最初の一手にしないというのが筆者の読みです。専門家委員会の合意文書で新しい試験の結果ではなく、米国の制度を前提にした報告書である点には注意が要ります。


