ルールを増やすほど、信頼は減っていく
「共有地の悲劇」から考える、ルールと信頼のバランス。
おはようございます。今日は朝礼で話した「ルールと信頼」の話を残しておきます。

共有地の悲劇という話
昔、ある町に「共有地」と呼ばれる、みんなが自由に使える牧草地があったそうです。何頭まで牛を放してよいという制限がなかったので、たくさん放した人ほど草を食べさせられて得をしました。
すると、みんなが「それなら自分もたくさん放したほうが得だ」と合理的に考えます。一人ひとりにとっては正しい判断です。ところが全員が同じことをすると、草は食べ尽くされて生えなくなり、最後は誰も使えなくなってしまう。結局「牛を放してはいけない」というルールができて、ただの公園になってしまった——そんな話です。
個人個人の合理性をみんなが優先すると、かえって全体の利益はどんどん失われていく。これは「共有地の悲劇」と呼ばれる、とても示唆に富んだ話だと思っています。

ルールは「信頼しなくていい」を作る
同じことは、身近なところにもあります。たとえば「とりあえず予約しておいて、予定が入ったらキャンセルすればいい」という考え方。個人にとってはとても合理的です。でもみんながやると、全体が立ち行かなくなる。だからキャンセルを制限するルールが生まれます。
ここで気づいたことがあります。
「キャンセルしないよね」と信頼しなくても、「キャンセルしたら料金がかかります」と決めておけば回ってしまう。でもその代わりに、普段きちんとしている人まで「私もキャンセル料がかかるの?」と、こちらから信頼されていないように感じてしまう。ルールには、そういう副作用もあるんですね。

それでも、信頼で動ける場所にしたい
だから私は、ルールはなるべく少なくしたいと思っています。とくに「ルールを守った人が損をする」ような仕組みは作りたくない。気になることがあれば、ルールで縛るより、直接その人と話して解決したい。
もちろん、組織が大きくなるほどこれは難しくなります。一人ひとりと話す代わりに、ルールで縛らざるを得なくなる。すると人と人の会話が減って、だんだん窮屈になっていく。SNSも、最初は自由だったのにルールがどんどん増えていきましたよね。あれと同じ構図です。
ルールは最小限に、足りないところは話し合いで埋める。ただし、ルールを平気で踏みにじる人だけは仲間に入れない。みんながこの感覚を共有してくれたら、きっといいチームになると思っています。


