抜去歯264本の病理・細菌組織像と、最長30年追跡した757症例の臨床成績から、歯髄温存療法の適応をつくり直した研究(Ricucci 2019・J Dent)
「可逆性歯髄炎だから覆髄、不可逆性歯髄炎だから抜髄」——術前の診断名で処置を決める、という手順に私たちは慣れています。イタリアの病理学者Ricucciらは、そのやり方に真正面から異を唱えました。決めるのは術前の診断ではなく、露髄した歯髄を顕微鏡で見た所見である、と。
①術前の診断名で、処置を決めていませんか
手順はこうなっているはずです。問診と温度診で「可逆性歯髄炎」と診断したら、覆髄を試みる。「不可逆性歯髄炎」なら抜髄する。診断名が先にあって、処置がそれに従う。
この順番に、Ricucciらは正面から異を唱えました。決めるのは術前の診断名ではない。露髄した歯髄を顕微鏡で見た、その所見である。
彼らの言い分にはそれなりの根拠があります。直接覆髄の成功率は、報告によって天と地ほど違うのです。Barthelらの後ろ向き研究では5年で37%・10年で13%。Bjørndalらのランダム化試験では1年で31.8%。ところがBogenらのMTA覆髄では、最長9年で歯髄生存率98%。
同じ「直接覆髄」という言葉が、まったく違う中身を指している。Ricucciらはそこに、適応基準の曖昧さを見ました。
②何を見たのか
この研究の特異なところは、組織像と臨床成績を同じ術者の手元で突き合わせている点です。「顕微鏡で何が見えたか」と「その歯がどうなったか」が、一人の記録の中でつながっています。
③組織像が語ったこと——壊死は、細菌が届いてから始まる
未処置のう蝕歯160本を見ると、エナメル質が破られた時点で、その直下の歯髄にはもう限局した炎症反応が起きていました。う蝕が進むにつれて炎症細胞が増え、第三象牙質が作られ、象牙芽細胞が減っていく。
ただし——壊死は現れません。細菌が歯髄腔に到達するまでは。
細菌が歯髄に届くと、風景が変わります。う蝕にいちばん近い髄角に、小さな壊死巣ができる。そこには必ず細菌が居着いていて、組織学的にはマイクロアブセス(微小膿瘍)——好中球に囲まれた膿の空隙——として見えます。これが組織学上の「不可逆性」です。
そして、この研究のいちばん重要な観察がここです。壊死巣の周囲は慢性炎症細胞で囲まれているが、そこから少し離れた歯髄組織は、見た目上まったく正常で炎症がない。
「可逆性」「不可逆性」は、歯髄全体ではなく歯髄の一部分の状態を指している——著者らはそう結論しました。ならば、壊れた部分だけを取り除けば、残りは救えるはずです。
もう一つ。大きく充填された59本の観察から、軟化した感染象牙質を完全に取り切り、適切に(液体と細菌を通さないように)修復すれば、歯髄の炎症はやがて治まることが確認されています。恒久的に残る変化は、象牙芽細胞の減少、第三象牙質の形成、歯髄内の限局した石灰化にとどまったと報告されています。
④提案された手順——4つの条件で、段階的に深くする
成績は直接覆髄73.2%(371/507)、部分断髄96.4%(27/28)、全部断髄77.8%(7/9)でした。
では、どう選ぶのか。直接覆髄が適応になるのは、次の4条件をすべて満たすときだけだと著者らは書いています。
手順は段階的です。条件を満たさなければ部分断髄へ。健全な歯髄が見つからない、あるいは適切な時間で止血できなければ、もう一層削る。大臼歯では髄室全体の断髄が必要なこともある。それでも条件が揃わなければ、抜髄。
そして著者らは、こう明言しています。「歯内療法を選ぶか歯髄温存を選ぶかを最終的に決めたのは、術前の臨床診断ではなく、マイクロスコープ下での術中所見だった」。術前に「可逆性歯髄炎」と診断していた歯でも、開けてみて根管治療になった症例があったと書かれています。
深部ではバーを使わず、鋭利な手用エキスカベーターだけで進める。露髄したらそれは「偶発的」ではなく、う蝕そのものによる露髄だと考える。露髄の大きさは、断髄の禁忌にはならない——著者らはこれも明記しています。
⑤明日の臨床へ
①露髄したら、まず「見る」時間を取る。色(赤か、暗いか、黄色いか)、出血の性状、削片の有無、周囲象牙質の硬さ。この4点を確認してから材料に手を伸ばす、という順番に変えるだけで判断が具体的になります。
②止血の時間を測る。2〜3分。この数字が、覆髄と断髄を分ける実務的な境界線として提案されています。止まらない出血は、それ自体が「もっと深くまで炎症が及んでいる」というサインです。
③「露髄させたくない」という恐れで判断を曇らせない。この研究では、非選択的除去で露髄させたうえで判断しています。ただし——これは、選択的除去(削り残す)を推奨する立場——本論文自身が引く欧州歯内療法学会のポジションステートメントや2016年の国際合意(Schwendicke ら)——と、明確に対立します。Ricucciらは、露髄を避けるために窩洞の最深部に軟化した感染象牙質を残すという根深い考え方は生物学的観点から問い直されるべきだ、と書いており、逆の立場です。どちらの流儀を採るかは、術者が拡大視野と無菌的環境をどこまで確保できるかに依存します。
④無菌操作を、条件ではなく前提にする。著者らは「VPTが成功するには厳密な無菌操作が必須」と結論の最初に置いています。ラバーダム、消毒、滅菌器具。そして、封鎖の甘い修復では細菌が戻ってきて、せっかくの創面が再感染します。
⑤覆髄が成功していれば、3〜6か月で石灰化組織が露髄部を埋める。患者の同意を得て再開拡した症例で、実際にそれが確認されています。1年で再開拡した症例の写真も論文に載っています。
⑥ここだけ、冷静に補助線
今日のひとこと
Ricucciらは、軟化象牙質を残さず取り切り(非選択的除去)、露髄面を高倍率で観察して処置を選ぶという手順を提案した。直接覆髄の適応は4条件——①露髄部周囲の象牙質が健全 ②創面が赤く均一で血液に満ちている ③削片が創面にない ④消毒後2〜3分で止血できる。条件を満たさなければ部分断髄、それでも駄目なら全部断髄、さらに駄目なら抜髄へ、と段階的に深くする。成績は直接覆髄73.2%(371/507)、部分断髄96.4%(27/28)、全部断髄77.8%(7/9)。ただし直接覆髄に回されたのは臨床的に可逆性歯髄炎と診断された症例だけで、断髄の症例数は28例と9例と小さく、単一術者の後ろ向き集計である。組織学的には、細菌が歯髄腔に到達するまで壊死は生じず、壊死巣より根尖側の歯髄は通常「炎症なし」だった。


