答えを知っていても、あえてAIに一度通す
賢さはもう全員に配られている。差がつくのは、渡した文脈の量です。
おはようございます。今日は朝礼で話したことを残しておきます。
実は僕、ミュージカルがどうも苦手です。小学生のときに学年全員で有名な劇団の公演を観に行ったのですが、最初から最後まで寝ていました。今思えばもったいない話です。役者さんは本気で演じている。それは分かるのですが、後ろの書き割りがどうしても気になって、「これ映画でいいんじゃないか」と思ってしまう。要するに芸術性がないんですね。その代わり、自分は物事を効率よく回すほうに特化している。だからそっちで人の役に立てればいい、と割り切っています。

賢いモデルが出ても、それだけでは何も進まない
昨日また新しいAIのモデルが出ました。前の世代との比較でも軒並み上回っていて、また賢くなってしまったな、というのが正直な感想です。
ただ、それは誰でも使えます。同じものが目の前に配られている。それでも差がつくのは、前提条件を渡しているかどうかです。こちらが何をしている人間で、いま何が起きているのかを知らないAIは、どれだけ賢くても「ただ賢いだけの他人」でしかありません。何をお願いしても、結局こちらが全部説明することになります。

自分が答えを知っていても、一度通す
そこで最近やっているのが、自分で答えられることでも、あえて一度AIに通すというやり方です。
たとえば「何月何日は何をしていますか」という問い合わせ。自分の予定なので当然分かっています。それでもAIに「こう聞かれたんだけど、なんて答えたらいい?」と投げる。するとAIは自分でカレンダーを調べて、「この日はこれをやっています」と、返信の候補をいくつか出してくる。こちらはその中から選ぶだけです。
一見すると遠回りですが、この一往復でAIは「カレンダーにどう辿り着けばいいか」を覚えます。メールもSNSのメッセージも同じで、全部いったんAIを経由させる。先日はメッセージ経由で、自分がある企画の役割を任されていたことを知りました。そのときAIも同時にその事実を知り、僕が返した文面まで知識として持つことになります。
社内の相談ごともそうです。ある取引の条件を見直したいとき、なぜ変えたいのかという背景ごと渡す。するとAIは、相手の立場に配慮したお詫びの一文まで含めた文章を作ってくれる。そしてAIの側には「会議でこういう話が出たのだ」という文脈がまた一つ積み上がります。

積み重なると、なんでも知っている秘書になる
これを続けていくと、だんだん「なんでも知っている秘書」になっていきます。
仕事だけでなく私生活も同じです。うちのペットの手術の予定を伝えてあるので、前日には「明日は手術だから朝は絶食させてくださいね」と教えてくれます。社長の横にいて、いつも一緒に動いている秘書のような存在に近づいていく。


