エンド|歯髄炎・神経原性炎症・歯髄温存
「細菌が神経まで達しています」——臨床でよく使う言い方ですし、間違ってもいません。ですが痛みの主役は細菌そのものではなく、細菌に対する自分の炎症反応です。しかもその炎症の一部は、痛みを伝えるはずの神経自身が起こしている。歯髄炎を分子のやりとりから構造の変化まで通しで整理したこの総説は、目の前の深いう蝕の見え方を変えてくれます。
①歯髄が痛いのは、細菌が痛いのではない
深いう蝕の患者さんに「細菌が神経まで達しています」と説明する。臨床でよく使う言い方ですし、間違ってもいません。ですが痛みの主役は細菌そのものではなく、細菌に対する自分の炎症反応です。
炎症は本来、宿主の防御です。目的は原因を排除して組織の恒常性を取り戻すこと——見張り役の細胞(マクロファージ・肥満細胞・樹状細胞)が刺激を検知し、血流から免疫細胞と血漿タンパクを呼び込み、貪食や細胞傷害性物質で中和する。防御が成功すれば抗炎症と再生の機構が働いて修復に向かいます。問題はこの反応が制御を失ったときです。
歯髄の炎症(歯髄炎)は強い痛みを伴う頻度が高く、歯科救急を受診する最も一般的な理由とされます。レーゲンスブルク大学を中心に、エアランゲン大学・ヴュルツブルク大学の研究者らがまとめたこの総説は、歯髄炎を「分子のやりとりから構造の変化まで」通しで整理したものです。
②神経が、炎症そのものを起こしている
この総説でいちばん臨床家の頭を組み替えるのが神経原性炎症(neurogenic inflammation)です。
末梢の感覚神経の求心性線維は、活動電位を脊髄や脳幹の中継点へ送る(順行性)だけではありません。一部の線維は逆方向へ、その神経終末が支配する領域全体に炎症反応を引き起こします。主に無髄の感覚線維が、熱・機械・電気といった物理的刺激や化学的刺激で活性化され、神経終末からサブスタンスP(SP)とCGRPを放出する。
SPは直接、血管を拡張させ透過性を上げて血漿の漏出を起こします。加えて肥満細胞を刺激してヒスタミンを放出させるという間接の経路も持つ。CGRPも強い血管拡張を起こします。さらにこれらの神経由来のメディエーターは、好中球・マクロファージ・T細胞を呼び寄せる走化性因子として働き、その活性化と分化にまで影響する。神経ペプチドに直接の抗菌作用があるという報告もあります。
そして輪が閉じます。炎症の場で作られたTNF-αやIL-1βが侵害受容器の神経終末を感作し、痛みの知覚を高め、神経原性炎症をさらに強める。神経が炎症を起こし、その炎症が神経をより敏感にする——歯髄炎の痛みが「勝手に強くなっていく」ように感じられる理由の一つがここにあります。
ただし、細菌の関与を消してはいけません。原著は続けて、侵害受容ニューロン自身がTLRなどのパターン認識受容体を発現しており、その刺激もニューロンを感作すると書きます。だから感染時に感じる痛みの一部は、細菌成分による神経の直接活性化に由来する——そしてこのニューロンは、微生物の侵入に対する即時の防御反応を自ら開始しているのかもしれない、とも述べられています。「細菌ではなく炎症」という二分法ではなく、細菌は直接にも間接にも痛みを作っていると読むのが正確です。
さらに原著は、炎症と感覚神経の傷害が、残った健康な歯髄組織へ新しい神経終末を伸ばさせると書きます。そしてその新生した枝からも神経ペプチドが放出され、炎症反応がいっそう増幅される。第1巻で見たByers 1990(神経の発芽)が、このループの中に組み込まれる形です。
③同じシグナルが、濃度によって逆の顔を持つ
もう一つ、臨床の前提を揺さぶる話があります。第三象牙質の分泌活性は、象牙質基質から放出される成長因子・神経ペプチド・サイトカイン、そして歯髄の常在細胞・免疫細胞・神経によって細かく調節されています。そのうえで原著は、初期う蝕で生じる程度の低い濃度では、TNF-αや活性酸素種(ROS)もまた象牙芽細胞の象牙質分泌活性を押し上げ、前駆細胞の分化を誘導する(p38 MAPK経路などを介して)と述べます。つまり炎症シグナルは、第三象牙質を作る側にも立っているということです。
一方で同じメディエーターが、高い濃度あるいは持続する刺激のもとでは慢性炎症や急性増悪を招き、壊死に至らせる。総説は「病態と治癒のあいだには、細胞性・非細胞性の複雑な相互作用に制御された繊細な均衡がある」と表現します。炎症は敵とは限らない——量の問題なのです。
④炎症は自然に止むのではなく、能動的に終わらせられる
終息の仕組みも受け身ではありません。急性期にはPGE2やロイコトリエンB4といった炎症性のエイコサノイドが好中球を呼び集めます。ところがそのPGE2自身が、抗炎症性のリポキシンやレゾルビン・プロテクチンの産生へと代謝を切り替える引き金になる。脂質メディエーターのクラスが入れ替わることで好中球の動員が減り、炎症巣での好中球のアポトーシスが誘導され、マクロファージの遊走と貪食が増える。
「炎症を呼んだ物質が、炎症を終わらせる合図も出している」——白血球が自ら終息を定義している、と総説は書きます。そして別の箇所では、歯髄は高い自然再生能を持ち、炎症を局在化させて拡がりを防ごうとすると述べられます(この2つを因果で結んでいるのは原著ではなく、読み手の見立てになります)。
⑤だから「全部取る」という前提が問われている
ここが臨床への接続点です。長いあいだ、症状が十分に強ければ歯髄を完全に除去して根管治療が第一選択でした。しかし構造の変化は空間的に限局しているように見える——この認識から、従来の治療上の前提が近年くり返し問い直され、生物学に基づく低侵襲の術式が開発されてきた、と総説は整理します。
狙いは歯髄の生活性を、少なくとも部分的には保つこと。従来は生物学的な理解・術式・診断法が足りなかったために除去されていた組織を残せれば、歯質が保存されて歯はより長く機能し、処置は短時間で低コストになり、患者さんの痛みと不快も減らせます。原著が挙げる具体策はう蝕の選択的な除去・複数回に分けた治療・不可逆的に傷んだ歯髄部分だけの限局的な切除で、う蝕除去のあとに生体活性材料を応用する、という流れです。
ただし総説自身が、なお相当の課題が残ると述べています。「どこまで炎症が及んでいるか」を臨床で正確に測る手段が無い——これが大きな壁の一つです(原著は炎症反応の空間的・時間的な進行がまだ理解されていないこと、診断基準や分子マーカーの整備など、複数の課題を並べて挙げています)。第1巻で見たSeltzer以来の「症状は組織を語らない」という問題が、低侵襲の時代になって別の形で戻ってきた、と読むこともできます。
これはナラティブな総説で、比較対照のある臨床研究ではありません。紹介される分子機構の多くは培養細胞や動物での知見に基づき、ヒトの歯髄でどの経路がどれだけ効いているかを定量した研究ではない点は押さえておく必要があります。とくに「低濃度なら修復を促す」を臨床判断に直結させるのは早すぎます——その濃度を診療室で測る手段が無いからです。それでも神経原性炎症という一枚の絵は、目の前の歯髄炎の見え方を変えてくれるはずです。歯髄温存療法がなぜ議論になっているのか、その土台を理解するための一本です。
今日のひとこと
歯髄炎の痛みの主役は細菌そのものではなく宿主の炎症反応で、その一部は神経自身が起こしている(神経原性炎症)。感覚線維が逆行性にサブスタンスPとCGRPを放出して血管拡張と血漿漏出を招き、肥満細胞のヒスタミンも動員し、免疫細胞を呼び寄せる。生じたTNF-αとIL-1βが神経終末を感作して痛みをさらに強めるループになり、炎症のなかで伸びた新生の神経終末がループを増幅する。ただし侵害受容ニューロンはTLRなどの受容体も発現しており、感染時の痛みの一部は細菌成分による神経の直接活性化に由来する——細菌か炎症かの二分法ではない。第三象牙質の分泌は象牙質基質由来の成長因子などが細かく調節しており、初期う蝕程度の低濃度ではTNF-αやROSもその分泌活性を押し上げる。炎症の終息も受け身ではなく、PGE2がリポキシン・レゾルビンへの代謝の切り替えを引き起こす。構造変化が空間的に限局して見えることから従来の「全部取る」前提が問い直され歯髄温存へ向かっているが、炎症の及ぶ範囲を臨床で測る手段が無いことが大きな壁の一つとして残る。


