エンド|関連痛・航空性歯痛・痛みの定位
「この歯が痛いんです」と患者さんが指す歯に、所見がない——臨床で誰もが出会う場面です。79年前、歯科医と米海軍の研究者のチームが、痛みが「別の場所」から歯へ飛んでくる仕組みを人体実験で確かめていました。上顎洞の入り口を針で刺激すると、1〜2週間前に治療した歯が92.8%の割合で痛んだのです。
①飛行機に乗ると歯が痛む——航空性歯痛という謎
第二次大戦のころ、パイロットたちを悩ませた症状があります。航空性歯痛(aerodontalgia)——気圧の変化で歯が痛むのです。米海軍のチームは低圧室での前研究(1946年)でこの症状を調べ上げ、意外な結論に達していました。その大多数は、歯そのものではなく、閉塞した副鼻腔(主に上顎洞)からの関連痛だったのです。
では、なぜ上顎洞の異常が「歯の痛み」として感じられるのか。著者らは仮説を立てました。一度痛み刺激を受けた歯の神経は、刺激が去った後も、閾値下の弱い興奮を長期間(ときに数年)出し続けている。普段は閾値の下なので痛まない。しかし同じ神経分節に入る別の入力——たとえば上顎洞からの刺激——が重なると、足し算で閾値を超え、「歯が痛い」と知覚されるのではないか。
仮説は統計観察から生まれたものでした。そこで彼らは、これを実験で確かめることにします。
②治療の1〜2週間後に、上顎洞の入り口を針でつつく
被験者は14名(男性10・女性4、14〜52歳)。左右両側に治療の必要な歯(う蝕や根尖病変)があり、既存の充填物がなく、耳鼻科所見も副鼻腔炎の既往もない人を選びました。
手順はこうです。まず要治療歯を、麻酔をせずに浅く窩洞形成し(痛みが出たことを確認・髄腔には近づけない)、フェノールとアルコールで消毒してアマルガムを充填します。1名は笑気吸入下での抜歯でした。治療は左右両側に行うので、1人あたり2実験、計28実験になります。
そして約1〜2週間後(9〜33日後)。鼻鏡を静かに挿入し、上顎洞開口部付近の鼻粘膜を針で刺激して、どこが痛むかを報告してもらいました。
③刺した場所より、歯が痛んだ
結果は仮説どおり、いや、それ以上でした。上顎洞開口部への針刺激で、92.8%の実験で「治療した歯」に痛みが誘発されました。一方、針を刺した場所そのものの痛みを感じたのは71.5%だけ。刺激した本人の場所より、1〜2週間前に治療した歯の方が、高い頻度で痛んだのです。
痛みの飛び方には法則もありました。1歯だけ治療した場合(78.5%)、痛みはその歯にきれいに限局。複数歯を治療した場合は、その象限全体に広がる痛みとして感じられました。
④仕組み——「閾値下の興奮」に、別の入力が足される
著者らの説明はシンプルです。打撲・深いう蝕・切削・咬合性外傷・感染・抜歯——一度痛み刺激を受けた歯の求心性神経は、刺激が去った後も静かに興奮を続けている。単独では閾値の下だから、本人は何も感じない。そこへ同じ分節支配の別の構造(上顎洞)からの入力が重なると、加重されて閾値を超え、痛みが「歯」に投射される。
⑤麻酔をして治療した歯は、痛まなかった
この論文には、さりげなく重要な観察が記されています。被験者の一部には、過去にプロカインブロック麻酔下で歯科治療を受けた歯がありました。上顎洞を刺激しても、それらの歯に痛みが誘発された例は1本もなかったのです。
無麻酔の切削は求心性神経に「痛みの履歴」を残し、麻酔下の切削は残さないのかもしれない——著者らは、歯科治療の際・治療後の神経ブロックで「過敏化」を防げないか、続きの研究を予告しています。今日でいう先制鎮痛(preemptive analgesia)の発想を、1947年に先取りしていたことになります。
⑥明日の臨床へ——患者が指す歯を、すぐに疑わない
著者ら自身が、日常臨床への含意を3つ挙げています。79年経った今も、そのまま通用します。
第一に、急性上顎洞炎からの歯痛。気づかずにいると、何ともない歯を治療・抜歯し、痛みだけが残る事故につながります。第二に、歯痛の定位の怪しさ。1本の病歯で象限全体が痛むとき、その象限の治療歴のある歯たちが関連痛の受け皿になっている可能性があります。第三に、気圧変化による歯痛の多くが「治療歴のある無実の歯」に出ること。ここから現代の私たちが広げるなら——患者さんの指す歯と、原因の歯は、別物としてゼロから診査する。所見がシロなら、原因を別の場所(隣の歯、対顎、上顎洞、そして口の外)に探す姿勢が要ります。
今日のひとこと
針を刺したのは鼻なのに、痛んだのは歯だった——痛みの場所は、原因の場所ではない。患者さんが指す歯の所見がシロなら、その歯は「無実」かもしれない。削る前に、痛みがどこから飛んできたのかを推理する。79年前の人体実験が、その姿勢の原点を教えてくれる。
本記事は論文の要点を医療従事者向けにまとめた解説です。臨床判断は原著と最新のエビデンスをご確認ください。


