カリオロジー|う蝕の病因(フッ化物とバイオフィルム)
フッ化物の働きを説明するとき、「歯を強くする」「再石灰化を助ける」までは言えても、細菌への作用となると急に歯切れが悪くなります。殺菌するのか、しないのか。2002年、BradshawらはS. mutansを含む9菌種を10日間グルコースで攻め続け、そこにたった10ppmのフッ化物を加えました。結果は、殺菌ではありませんでした。酸が出にくくなり、その結果としてミュータンス菌が増えられなくなったのです。
①「フッ化物は菌を殺すんですか」に、どう答えるか
フッ化物の説明は、途中まではすらすら言えます。歯を溶けにくくする、再石灰化を助ける。ところが「じゃあ菌には効かないんですか」と聞かれると、急に言葉が濁る。
実際、この論点は長く決着していませんでした。プラーク中のフッ化物濃度はミリモルの単位に達しうるので、細菌に何かしているはずだ。でも「殺菌している」とまでは言い切れない。
2002年、Bradshawらはこれをきれいなモデルにしたうえで実験しました。9菌種の混合培養を10日間グルコースで攻め、そこに10ppmのフッ化物があるかないかだけを変える。
②プラークを実験室で「壊す」
使ったのはケモスタットという連続培養装置です。9菌種——S. mutans、S. oralis、S. sanguis、A. naeslundii、V. dispar、F. nucleatum、P. gingivalis、P. nigrescens、N. subflava——を混ぜて、pH 7.0で定常状態まで育てます。
ここで乳酸桿菌は意図的に外されています。乳酸桿菌はう蝕の「開始」への関与が限られるうえ、フッ化物に非常に強いため、以前の同じモデルでの解釈を曇らせたからだ、と著者らは書いています。
そのうえで、こうします。
- グルコースを一気に加える(最終濃度28 mM)
- pH制御を6時間止め、菌が出す酸でpHが落ちるにまかせる
- 6時間後にサンプルを取り、pHを7.0に戻す
- これを10日連続で繰り返す
これは、間食を繰り返す口の中を実験室で再現した設計です。そして同じ実験を、培地に0.53 mMのフッ化ナトリウム(フッ素として10ppm)を入れた条件で繰り返しました。
さらに並行して、CDFFという装置で10日育てた厚さ170µmのバイオフィルムを作り、そこへグルコース液(フッ化物あり/なし)をかけて、pH微小電極で1時間の変化を3分ごとに追っています。バイオフィルムは薬剤が効きにくいことが知られているので、この確認は重要です。
③糖だけを10日与えると、菌叢は壊れた
まずフッ化物なしの結果から。
糖負荷の前、この菌叢の主役はF. nucleatum(40.6%)とV. dispar(16.9%)で、S. mutansは4.1%の脇役でした。ところが10日間の糖のパルスを浴びたあと、様子は一変します。
- S. mutans:4.1% → 22.8%(t検定 p=0.03)
- V. dispar:16.9% → 73.4%(p=0.004)
- F. nucleatum:40.6% → 0.004%
- P. nigrescens:5.2% → 0%(検出されず)
- 総菌数(CFU)も減少
面白いのは、S. mutansの菌数そのものはほとんど増えていないことです(log10で6.40→6.51)。増えたのは「割合」。周りが酸で倒れたから、相対的に主役になった。う蝕は「悪い菌が侵入してくる病気」ではなく、環境が変わって主役が入れ替わる病気——エコロジカル・プラーク仮説そのものの絵が出ています。
④10ppmのフッ化物が入ると、入れ替わりが起きない
同じ実験を、10ppmのフッ化物のもとで繰り返すと、この「壊れ方」の大部分が起きませんでした。
- S. mutansは2.6%にとどまった(フッ化物なしの22.8%と比べて有意 t検定 p=0.04)
- A. naeslundiiが1.0% → 13.2%へ増え、V. dispar(70.4%)に次ぐ位置についた
- S. oralis・S. sanguis・嫌気性菌の菌数も、糖のみの条件よりはるかに高く保たれた
- 総菌数は糖負荷前の水準を維持した
ここが大事なところで、フッ化物は菌を皆殺しにしてはいません。総菌数は糖負荷前の水準に保たれ、糖だけを与えた条件と比べれば、常在菌の顔ぶれもずっと残っている。ただし糖負荷前と比べれば、フッ化物ありでもP. nigrescensやN. subflavaは1〜2桁減っており、「何も変わらなかった」わけではありません。抗菌薬で特定の菌を叩くのとは、別の絵だということです。
⑤効いていたのは「酸の出にくさ」だった
では何が起きたのか。pHです。
6時間後の最終pHは、フッ化物ありのほうが毎回高く、その差は0.1〜0.7 pH単位(対応のあるt検定 p<0.0001)。水素イオン濃度に直すと1.3〜4.6倍の差にあたります。10日目で見ると、フッ化物なしがpH 4.41、ありが4.83でした。
そしてバイオフィルムでの差は、さらに大きかった。グルコースをかけて1時間後、フッ化物なしはpH 4.55まで落ちたのに対し、ありはpH 5.55で止まりました(p<0.000001)。30〜60分の差は0.93 pH単位で、著者らはこれを約8倍の水素イオン濃度の減少と表現しています。バイオフィルムのほうが薬剤に強いはずなのに、フッ化物の効果はむしろ大きかった。
⑥なぜ「pHだけでは説明できない」のか
ここが、この論文がいちばん粘っているところです。
著者らは自分たちの以前の研究を持ち出します。pHを人為的に決めた値まで落としたとき、S. mutansの割合はpH 5.5以上で4.2%、pH 5.0以上で7.9%、pH 4.5以上で9.9%でした。つまりpHが4.4から4.9に上がった程度では、S. mutansの割合はそれほど大きくは変わらないはずなのです。
ところが今回は22.8%から3%未満という大きな差が出た。だからpHの変化だけでは足りない、と著者らは考えました。
フッ化物の抗菌作用は低pHで3〜50倍に強まることが知られています。つまりフッ化物は、危ないときにだけ強く効くブレーキのように振る舞う。健康な部位のプラークの組成を変えないのに、糖にさらされたときの悪化だけを止める——高フッ化物地域と低フッ化物地域で、糖摂取が少なければプラーク組成が変わらないという古い観察とも、この説明は矛盾しません。
⑦明日の臨床へ
- 「フッ化物は菌を殺す薬ではない」と説明できる。総菌数は糖負荷前の水準に保たれ、糖だけの条件と比べれば常在菌もずっと残っていた。抗菌薬や強い洗口剤とは働き方が違う
- 効いているのは「酸が出にくくなること」。だからフッ化物は、糖の頻度が高い人ほど意味を持つ
- 低い濃度で成立している。この実験は10ppm(0.53 mM NaF)。プラーク中のフッ化物濃度はミリモルの単位に達しうると報告されており、これより低い濃度帯でも菌の生態に効きうる、という理屈になる
- 「口の中にフッ化物を残す」という発想を、歯質だけでなく細菌側からも語れる。ただしこの実験は培地に10日間ずっとフッ化物を入れっぱなしにした条件であり、ブラッシング後に一時的に残る曝露とは形が違う
- ただしこれはin vitroの話。臨床でここまで起きるとは言い切れない
⑧ここだけ、冷静に補助線
今日のひとこと
口腔9菌種の混合培養に、10日間続けてグルコースを与え、そのたびにpHを6時間下がるにまかせた実験。フッ化物なしでは、S. mutansが4.1%から22.8%へ増え、酸に弱い偏性嫌気性菌(F. nucleatumは40.6%→0.004%)はほぼ消えて、菌叢そのものが縮んだ。ところが培地に10ppm(0.53 mM)のフッ化物を入れておくと、S. mutansは2.6%にとどまり(t検定 p=0.04)、A. naeslundiiが13.2%へ増え、総菌数も他の常在菌も糖負荷前の水準を保った。決め手はpHで、6時間後の最終pHがフッ化物ありでは0.1〜0.7単位高く(対応のあるt検定 p<0.0001)、水素イオン濃度にして1.3〜4.6倍の差。バイオフィルムではさらに大きく、糖負荷1時間後のpHが4.55対5.55(p<0.000001)で、30〜60分の差0.93 pH単位=約8倍の酸の減少にあたる。著者らは、pHの変化だけではS. mutansの減り方(22.8%→3%未満)を説明できないとして、フッ化物の作用を「直接(HFの取り込みによる代謝阻害)」と「間接(環境の酸性化を抑えて競争優位を与えない)」の二本立てと結論した。ただしこれはin vitro研究であり、臨床効果の証明ではない。著者2名はUnilever Dental Researchの所属である。
本記事は論文の要点を医療従事者向けにまとめた解説です。臨床判断は原著と最新のエビデンスをご確認ください。


