口腔顔面痛|米国歯科研究学会(AADR)が2010年に承認したTMDの基本方針を、委員長のGreene先生が紹介した短報。委員会が何に合意したか、根拠に何を置いたか、何が書かれずに残ったかを整理した解説記事
顎が痛い、口が開きにくいと訴える患者さん。スプリントか、咬合調整か、補綴か。TMD(顎関節症)は歯科でもとくに意見が割れてきた分野で、研究者の間では固まった考え方が、臨床の現場では必ずしも共有されていませんでした。そこで米国歯科研究学会(AADR)の神経科学グループの委員会が、1996年の声明を見直し、神経科学グループから評議会まで学会内の審査を順に約3年かけて通した新しい基本方針が、2010年3月に承認されます。中身は2つの推奨です。診断は病歴・臨床診査と、必要なときの画像検査を基本にすること。そして治療は、正当な理由がない限り、保存的で可逆的な、エビデンスに基づく方法から始めること。委員長だった著者はこれを「この分野でこれまでで最も真の診療の標準に近いもの」と紹介しています。データを示す研究ではなく、合意文書を紹介した3ページの短報です。
①顎が痛い患者さん。何を「標準」にすればいい?
顎が痛い、口が開きにくい、噛むと響く。そう訴える患者さんに、スプリントを作るか、咬合を調整するか、補綴で噛み合わせを作り直すか。TMD(顎関節症)は、歯科医によって答えがかなり違ってきた分野です。
著者のGreene先生(イリノイ大学シカゴ校)も冒頭で、TMDは歯科の中でも論争の多いテーマとしてよく知られていると書いています。
この論文は、そこに一つの「基準」を示そうとした文書の紹介です。米国歯科研究学会(AADR)の理事会と評議会が2010年3月に承認した、TMDの診断と治療に関する基本方針(policy statement)。その全文を囲み記事で載せ、成り立ちを著者が説明しています。著者は、この方針を作ったAADR神経科学グループの委員会の委員長でもあります。
・診断:病歴と臨床診査、必要なときの顎関節の画像検査を土台にする。補助的な検査は、診断に役立つことと安全性が査読付きのデータで示されたものを選ぶ。画像以外の技術的な診断機器は、正常な人とTMDの患者さんを見分ける精度が示されていない
・治療:正当な理由がない限り、まず保存的で、可逆的で、エビデンスに基づく方法から始めることを強く推奨。専門的な治療に、患者さん自身が行うセルフケアの指導を組み合わせる
臨床試験ではないので、数字の結果はありません。この記事では、委員会が何に合意したか/根拠に何を置いたか/何が書かれずに残ったか、の3つに分けて読みます。
②なぜ、改めて「基本方針」が必要だったのか
著者はまず、この25〜30年の研究の流れを3つにまとめます。
・TMDの診断と治療は、医学に基づくモデルの方向へ向かってきた
・この種の痛みは、生物・心理・社会の3つの面から見る枠組み(生物心理社会モデル)で扱うべきで、保存的な医学的ケアに行動面のアプローチを組み合わせる
・TMDの患者さんのうち少数は治療に反応せず、慢性の痛みを抱えるようになる。そのため多くの研究が、この経過の複雑さの解明に向けられてきた
ところが、こうした結論は臨床研究者の間では広く受け入れられているのに、臨床の現場では議論が続いている。その結果、多くの場面で研究と臨床のあいだに受け入れがたい隔たりが生まれている、と著者は書きます。いちばん影響を受けるのは患者さん自身で、誰に相談したかで、その後がほぼ決まってしまうからです。
指針を作ろうとする動きはありました。ただ、いちばん広く知られている米国口腔顔面痛学会(AAOP)の指針も、著者によれば「偏っている」「政治的だ」と批判されてきた。カナダのオンタリオ州の歯科医師会のように、国や地域の歯科界が指針を出している例もあるが、米国はそうした国ではなかった、と著者は述べます。
③どう作られたか:1996年の声明を見直し、審査にほぼ3年
米国で最初の試みは1996年、AADRがTMDの診断と治療に関する声明を承認したときでした。ただ、著者によれば当時はあまり影響を持たなかった。そこでここ数年、AADR神経科学グループの委員会が、この声明の改訂と更新に取り組んできました。
改訂の土台は、診断の方法と治療のアプローチについての文献の丁寧な見直し。そのうえで、神経科学グループのすべての段階、学会の科学情報委員会、理事会、そして最後に評議会の審査を通しました。この過程にほぼ3年かかり、2010年3月に評議会が最終承認しています。
著者はこの経緯を踏まえて、新しい声明は「この論争の多い分野で、これまでで最も真の診療の標準に近いもの」と見なせるだろう、と書いています。
④何に合意したか:定義と、2つの推奨
声明本文は短く、TMDの捉え方を示したあと、2つの推奨を置いています。全体の組み立てを図にすると、次のようになります。
TMDの捉え方:顎関節、咀嚼筋、それに関わるすべての組織が関係する、筋骨格系と神経筋系の病態のまとまり。症状はさまざまで、噛む・話すなど口や顔の働きの困りごとを含み、急性あるいは長く続く痛みを伴うことが多い。ほかの痛みの病気を併せ持つ(併存症)ことも多く、慢性化すると仕事や人づきあいに支障が出て、生活の質全体が下がることがある、としています。
推奨1・診断:TMDやそれに近い口腔顔面痛の鑑別診断は、主に病歴と臨床診査から得た情報に基づき、必要なときに顎関節の画像検査などを加える。補助的な検査は、診断に役立つことと安全性が査読付きの公表データで示されたものを選ぶ。そのうえで声明は、最近の文献の一致した見解として、各種の画像検査を除けば、今ある技術的な診断機器はどれも、正常な人とTMDの患者さんを分けたり、TMDの下位分類を見分けたりするのに必要な感度と特異度を示していないと明記しています。一方で、整形外科・リウマチ・神経の病気の評価に使う一般的な医学的検査や臨床検査は、必要に応じて使ってよい。標準化され妥当性が確かめられた心理測定の検査で、心理社会的な面を評価してもよい、としています。
推奨2・治療:ここだけは「強く推奨」です。反対の判断をする具体的で正当な理由がない限り、TMDの治療は最初は保存的で、可逆的で、エビデンスに基づく方法で行う。理由として声明は次を挙げます。
・多くのTMDの自然経過を調べた研究から、時間とともに良くなる、または治まる傾向がうかがえる
・どの患者さんにも一様に効くと証明された治療はないが、多くの保存的な方法は、症状を和らげる点で多くの侵襲的な治療と少なくとも同じくらい効果があることが示されてきた
・保存的な方法は取り返しのつかない変化を生まないので、害を生むリスクがずっと小さい
・専門的な治療に、病気について学び、症状の扱い方を身につける家庭でのセルフケアの指導を加える
⑤根拠に何を置いたか
声明は2つの推奨の前に、「臨床試験、実験研究、疫学研究からのエビデンスに基づき」と前置きしています。囲み記事の末尾には、根拠文献が18本並びます。
顔ぶれを見ると、方針の骨組みがよくわかります。表面筋電図などの診断機器の臨床的な有用性を見直した総説、TMDの診断における技術の役割、歯科に基づくモデルから医学に基づくモデルへという論文、慢性の痛みを「疾患か、病いか」と問う論文、「ローテクで慎重な」治療を訴える論文、筋の痛みと関節の中の病態それぞれの診断と非外科的な管理の総説、そしてセルフケアのプログラムを検証したランダム化比較試験など。
ただし、この短報には、文献をどう集めたか、エビデンスの強さをどう格付けしたかは書かれていません。著者が述べているのは、文献を丁寧に見直したことと、学会内の4つの組織の審査を順に通したことです。根拠の「質」ではなく、合意に至る「手続き」で重みを担保した文書と読むのが妥当でしょう。
⑥何が書かれずに残ったか
短い声明だからこそ、書かれていないことも見えてきます。原著の文面から読み取れる範囲で整理します。
・具体的な治療法の名前:スプリント、薬、理学療法などの名前は出てこない。示しているのは「保存的・可逆的・エビデンスに基づく」という条件だけ
・例外の中身:「反対の判断をする具体的で正当な理由」がどんな場合かは書かれていない
・侵襲的な治療の扱い:禁止はしていない。「最初は」保存的に、という順番の推奨
・慢性化する少数の患者さん:著者は冒頭で、治療に反応せず慢性の痛みに移る少数がいることを研究の焦点として挙げているが、声明本文にその人たちへの個別の手順はない
著者自身も、この声明を「読者が見直し、自分の診療に取り入れることを検討するために」載せた、と書いています。守らせる規則ではなく、判断の出発点として差し出された文書です。取り入れられれば、将来のTMDの患者さんは不適切な治療を受けるリスクが下がり、本当に必要な専門的ケアを受けやすくなる、と著者は締めくくっています。
⑦明日の臨床へ
この論文は合意文書の紹介で、手順を試した研究ではありません。そのうえで、筆者の読みとして持ち帰れそうなことを挙げます。
・機器の数値で「TMDだ」と決めない。声明は、画像以外の診断機器に、正常とTMDを見分ける精度が示されていないとしている
・最初の一手は、戻せる手から。咬合調整や補綴のように元に戻せない処置を最初の選択にしない。声明は「正当な理由がない限り」と例外を残しているので、その理由を自分で説明できるかを一度確かめる(ここは筆者の読み)
・患者さんに病気のことを伝え、セルフケアを一緒に組む。声明は専門的な治療に家庭でのケアの指導を加えるよう勧めている
・どの患者さんでも、必要に応じて心理社会面も見る。声明は、標準化された心理測定の検査で患者さん一人ひとりの心理社会的な面を評価してよいとしている。併存症が多いことにも触れている
⑧ここだけ、冷静に補助線
紹介しているのは、その方針を作った委員会の委員長本人です。「最も真の診療の標準に近い」という位置づけは、著者の評価として読むのが妥当です。
声明は「臨床試験、実験研究、疫学研究のエビデンスに基づく」としていますが、文献の集め方やエビデンスの格付けの方法は、この短報には書かれていません。
2010年の米国の学会の方針なので、日本の診療ガイドラインやその後の診断基準・知見で補って使う必要があります。
それでも、「診断は病歴と診査から、治療はまず保存的・可逆的に」という骨組みを、研究者の学会が手続きを踏んで文書にしたことには大きな意味があります。TMDを診る歯科医が、自分の診療を照らし合わせる物差しになる一枚です。
今日のひとこと
この基本方針が合意したのは2つだけです。診断は病歴と臨床診査を土台に、必要なら画像。画像以外の診断機器は、正常な人とTMDの患者さんを見分ける精度が示されていない。そして治療は、正当な理由がない限り、保存的で可逆的な方法から。多くのTMDは時間とともに良くなる傾向があり、多くの保存的な方法は、多くの侵襲的な治療と少なくとも同じくらい症状を和らげ、取り返しのつかない変化を残さない。削る前、戻せない処置を選ぶ前に、まず戻せる手から(ここは筆者の読み)。TMDを診る歯科医の出発点になる考え方です。


