口腔顔面痛|処置を重ねても抜歯後まで続いた痛みの症例から、神経可塑性と中枢の感作の仕組み、局所麻酔と全身麻酔の違い、再手術に飛びつかない理由を整理した解説記事(Greene 2009・JADA Pain Update)
修復、クラウン、根管治療、歯根端切除、そして抜歯。それでも抜歯窩が治ってから6か月、強い痛みが続いている患者さん。米国歯科医師会雑誌(JADA)の痛みの解説欄「Pain Update」の第1回で、Greene先生はこの経過を神経可塑性で説明します。痛みの信号を中継する二次ニューロンが感作され、ふつうは元に戻るその変化が戻らなくなると、もとの痛みの入力がなくても痛みが続く。だから、毎日使う局所麻酔には感作を防ぐ意味もある一方、全身麻酔にはその働きがない、と著者は書きます。そして治療後も痛みが残る人の多くは治療前から長く痛んでいた人なので、失敗に見える根管治療や抜歯のあとでも、同じ部位の再手術に飛びつかないこと。データではなく考え方の地図を描き直す、3ページの解説です。
①詰め直し、根管治療、抜歯。それでも痛みが残るとき
修復したあとから痛み出した歯。詰め直しても、クラウンにしても、根管治療をしても痛みが引かない。歯根端切除をして、最後は抜歯。それでも痛い。
この論文は、そんな患者さんの話から始まります。前の歯科医院で、上顎左側の1本の歯(米国式の歯番で13番)に、修復 → 修復物の除去と酸化亜鉛ユージノール(ZOE)での仮封 → 支台歯形成 → クラウン装着 → 根管治療 → 歯根端切除 → 抜歯と処置が重ねられました。そのあいだ痛みは断続的に続き、しだいに悪化。抜歯窩が治ってから6か月たった今も、強い痛みが続いている——。
「いちばん考えられる説明は何か」。著者のGreene先生(イリノイ大学シカゴ校)の答えは、神経可塑性(neuroplasticity)です。痛みの刺激を受けて、神経系そのものが変わってしまう現象を指します。
・痛みの刺激で、途中で信号を中継する二次ニューロンが「感作」されることがあり、そうなると痛くない刺激まで痛く感じたり、周りの部位まで痛く感じたりする
・ふつうはすぐ元に戻る。戻らなくなると、原因が治っても痛みが続く=慢性の痛み
・毎日の局所麻酔は、信号を入口で止めることで感作を防いでいると著者は説明する。全身麻酔にはその働きがない
・著者によれば、治療後も痛みが残る人の多くは、治療前から長く痛んでいた人。「治療が失敗した」と見えても、同じ部位の再手術に飛びつかない
この論文は、米国歯科医師会雑誌(JADA)で始まった痛みの解説欄「Pain Update」の第1回にあたる3ページの記事です。臨床試験ではないので、数字の結果はありません。そのぶん、痛みの見方の「地図」を描き直すことに焦点が絞られています。
②「刺激が強いほど痛い」という古い地図
著者はまず、長く信じられてきたデカルト型のモデルから説明します。17世紀の哲学者デカルトにちなむ考え方で、神経は固定された配線、脳は痛みの信号を受け取る中央の交換台。刺激の強さと感じる痛みは比例する、という見方です。
このモデルでは、痛みがあれば、その場所に原因がある。原因を取り除けば痛みは消える。冒頭の症例で処置が次々に重ねられたのも、この地図に沿えば自然な流れです。
ところが1965年、MelzackとWallが、痛みの信号は途中で強められたり弱められたりすると提唱します。第二次世界大戦中にBeecherが観察した、戦場で負傷した兵士が、戦闘の混乱が収まるまで痛みを感じなかったという例がその典型です。1967年にはCaseyとMelzackが、意欲・認知・行動の要因が、上へ向かう痛みの信号と下へ向かう反応の両方を調節すると広げました。同じ刺激でも、人によって、状況によって、痛みの体験は違ってくるということです。
③神経は「学習」する。そして痛みも覚える
20世紀の終わりに見つかったのが神経可塑性です。考える、学ぶ、行動する——そのたびに、脳の形(解剖)も働き方(生理)も変わる、という考え方です。
学習やけがからの回復を支える、ありがたい性質です。ただ著者は、痛みの領域では「暗い面」が現れると書きます。
・広がる痛み:実際に傷んだ場所より、ずっと広い範囲が痛む
・慢性の痛み:もとのけがや病気は治ったのに痛みが残り、強くなることさえある
どちらも、以前は理解されにくかった痛みです。著者は、だからこそ歯科医師も医師も神経可塑性の仕組みを知っておく必要がある、それが患者さんの痛みの訴えへの反応を左右するから、と述べています。
④仕組み:乗り換え駅の「二次ニューロン」が敏感になる
著者はこの仕組みを、できるだけ単純に説明しています。
歯の痛みのような末梢の刺激は、高次の中枢へ向かう途中で、必ず二次ニューロンとのつなぎ目(シナプス)を通ります。ここで神経を「オン」にする興奮の働きは、シナプスごとに放出される一連の化学物質によるものです。
歯の痛みの信号で二次ニューロンが刺激されると、その二次ニューロンが末梢からの次の入力に敏感になる(感作される)ことがあります。そうなると患者さんは、痛くないはずの刺激まで痛みとして感じ、隣の部位まで痛いと感じ始めます。
大事なのはここからです。著者によれば、こうした変化は痛みの刺激があるたびに、程度の差はあれ毎回起きている。ふつうは比較的すぐに元に戻ります。問題になるのは、感作された中枢神経系が元の状態に戻らなくなったときです。
そうなると、もとの痛みの入力(侵害受容の入力)がなくても、痛みが起きる。冒頭の患者さんが、抜歯して原因の歯がなくなってからも痛み続けている理由は、ここで説明がつく、というのが著者の見立てです。
⑤毎日の局所麻酔は「感作の予防」でもある、と著者
では、歯科医は日々どう関わっているのか。著者がいちばんの臨床的な意味として挙げるのは、ほぼすべての処置で使っている局所麻酔です。
局所麻酔で末梢の痛みの信号を止めると、信号が二次ニューロンに届かないので、感作が起きない——著者はそう説明します。
対照的なのが全身麻酔です。手術中、患者さんは「痛みを感じない」。けれども著者によれば、手術部位で刺激されたAδ線維とC線維は、脊髄後角や三叉神経脊髄路核へ信号を送り、二次ニューロンを興奮させる。つまり、全身麻酔には局所麻酔のような感作を防ぐ働きがない、ということです。
著者はこれを「良い知らせ」と呼びます。歯科医は処置のたびに、長引く痛みを知らないうちに数多く防いでいるのだろう、と。
⑥それでも痛みが残る人。再手術の前に立ち止まる
一方の「悪い知らせ」は、それでも痛みが続く患者さんが出ることです。著者によれば、その多くは治療を受ける前から長く痛みを抱えていた人で、神経系がすでに感作されているから、と説明しています。
この可能性を知っていれば、痛む手術部位を再手術したくなる誘惑に抗えると著者は書きます。失敗したように見える根管治療や抜歯のあとで、それがよく起きている、とも。
誰が慢性の痛みになるかを前もって予測する方法はない、と著者は認めています。そのうえで、ある研究(Diatchenkoら 2006年)の結果から、なりやすさには強い遺伝的な要因が関わっている可能性に触れています。治療については、中枢の感作を和らげる薬の選択肢がすでにあり、今後も増えること、そして生物・心理・社会の3つの面から痛みを見る管理(生物心理社会モデル)で、体の面と行動の面の両方に向き合えることを挙げています。
結論として著者は、神経可塑性と感作を理解しておくことが、誤った診断と効かない治療を避けるために欠かせないとまとめます。こうした患者さんの多くは、適切な医療の専門家への紹介が必要になる。米国では多くの地域に慢性疼痛のクリニックがあり、相談先として頼りになる、と締めくくっています。
⑦明日の臨床へ
この記事は解説で、手順を試した研究ではありません。そのうえで、筆者の読みとして持ち帰れそうなことを挙げます。
・「原因の部位を処置したのに良くならない」ときこそ一度止まる。歯が原因の痛みを見落とさない診査は前提としたうえで、同じ部位への処置を重ねる前に、神経系の変化という見方を候補に入れる
・局所麻酔を確実に効かせる。著者の説明では、局所麻酔には痛みを感じさせないだけでなく感作を防ぐ意味もある(麻酔の効き具合と感作の関係まで原著が述べているわけではなく、ここは筆者の読み)
・一人で抱えない。著者は医療の専門家への紹介を勧めている。日本なら、口腔顔面痛を扱う専門外来やペインクリニックが相談先の候補になる(ここは筆者の補足)
⑧ここだけ、冷静に補助線
とくに「局所麻酔なら感作は起きない」「全身麻酔では防げない」という部分は、この記事の中で比較データが示されているわけではなく、著者の説明(当時の考え方)として読むのが妥当です。
2009年の記事なので、薬物療法など治療の具体像はその後の知見で補う必要があります。紹介先として挙げられた慢性疼痛クリニックも米国の事情です。
それでも、「痛みの強さ=その場所の傷みの大きさ」という地図を描き直し、抜歯しても消えない痛みに説明を与えるという意味で、痛みを扱う歯科医が最初に押さえたい土台の話です。
今日のひとこと
この解説が描き直したのは、「痛みの強さ=その場所の傷みの大きさ」という地図です。痛みの刺激で二次ニューロンが感作され、それが元に戻らないと、原因の歯を抜いても痛みは続くことがある。著者の説明では、毎日の局所麻酔は感作を防ぐ手段でもあります。処置を重ねても消えない痛みには、同じ部位の再処置に飛びつく前に立ち止まり、専門家への紹介も選択肢に入れる。痛みを扱う歯科医が最初に持っておきたい見方です。


