朝礼小噺

分かりやすい説明は、どこかで正確さを捨てている

朝礼メモ

分かりやすい説明は、どこかで正確さを捨てている

勉強会の資料をAIにファクトチェックしてもらったら、正しさと面白さのトレードオフに行き当たった話。

付箋だらけのスライドを前に苦笑いする歯科医師と、それを見て笑うスタッフ

AIに「このスライド、合ってる?」と聞いてみた

先日、勉強会の前に、作ったスライドをチャットGPTに見せて「これ、内容は正しい?」とファクトチェックをお願いしてみました。

結果は見事なもので、ほぼ全てのスライドに注釈がつきました。「その可能性があります」「必ずしも長期的に利益が出るとは限りません」「誤認を招く恐れがあります」。ひとつひとつは、どれも正しい指摘です。

ただ、その注釈を全部入れて資料を作り直したら、とんでもなく面白くない資料になってしまいました。読んでも頭に入ってこない。正しさは上がったのに、伝わる力は明らかに落ちていたのです。

言い切って説明すると聞き手が納得し、慎重に説明すると聞き手が困惑している対比の場面

「頭がいい人は説明がうまい」は、たぶん間違っている

以前どこかで「頭がいい人は説明がうまい、というのは間違いだ」という話を聞いたことがあります。今回のことで、その意味が少し分かった気がしました。

本当に厳密さを追う人ほど、話は面白くなくなっていきます。学者の先生方がそうです。「この研究では、そこまでは分かっていません」と正直に言う。それが一番誠実で、一番賢い態度のはずなのに、聞いている側には物足りなく響いてしまう。

逆に、言い切る人は賢そうに見えます。コロナの頃もそうでした。「これをやればかかりにくくなります」と断言する人の話ほど広まっていく。単純化した人のほうが、頭がよさそうに見えてしまうという逆転が起きるわけです。

たとえば

「フッ素と食生活、この二つに気をつけていれば虫歯にはなりません」と言い切れば、聞いた人はすっと理解して行動に移せます。でも正確に言えば、それでも虫歯になる方はいます。「必ずしも虫歯にならないとは限りませんが、現時点ではこれがベストな方法とされています」——正しいけれど、これでは伝わりません。

例え話も同じ構造です。分かりやすくなる代わりに、正確性は必ず少し落ちる。

分かりやすさと正確さは、どこかで必ずぶつかる。
休憩室で和やかに語り合う歯科医院のスタッフたち

だから、バランスを取れる人が本当に頭がいい

ここまで考えて、私なりの結論はこうなりました。厳密な人でも、単純化がうまい人でもなく、その配分をうまく取れる人が、本当に頭のいい人なのではないか、と。

これは資料の話だけではありません。現場のルールも同じです。厳格にすればするほど、正しさは上がる。けれど、仕事はどんどん楽しくなくなっていく。だから言うべきところは言うし、そうでないところはあえて置いておく。その匙加減が要るのだろうと、ずっと思ってきました。

ただ最近は、少し肩の力が抜けてきました。絶妙なバランスを毎回完璧に取らなければ、と気負わなくてもいいのかもしれない。人それぞれですから、最終的には考えの合う人が長く一緒にいてくれればいい。そして、残ってくれた人たちがちゃんと幸せになれる仕組みを作る。巡り巡って、今はそこに行き着いています。

注釈だらけの完璧な資料より、みんなが同じ方向を向ける資料を。
今日も一日、よろしくお願いします。