エンド|窩洞形成も齲蝕も修復物もない無傷のサルの歯に、はんだごてで外から熱だけを加え、歯髄内の温度上昇と組織像を対応づけた古典(Zach&Cohen 1965・Oral Surg Oral Med Oral Pathol)
注水なしで削ると歯髄が危ない——そう教わった根拠のひとつが、この1965年の実験です。ニューヨーク大学のZachとニューヨーク退役軍人病院のCohenは、アカゲザル成獣5頭の、削ってもいない・むし歯もない・修復物も入っていない歯の唇側・頬側に、275℃のはんだごてを5〜20秒当てました。髄室内に入れたサーミスタで歯髄の温度上昇を測り、反対側の同名歯に同じ条件で熱を加えて、2日から91日後まで組織を観察しています。結果は温度上昇の幅できれいに分かれました。4°F(約2.2℃)ではほぼ無傷。10°F(約5.6℃)で15%が回復せず、20°F(約11℃)では約60%(結果の記述では21本中13本)が不可逆的な壊死に至り、30°F(約17℃)ではすべての歯で歯髄が失われました。著者らはこれを「削る外傷を一切足していない、最低限の熱ストレス」と位置づけています。
①「注水なしで削るな」の出どころ
支台歯形成の途中、注水が細くなっているのに気づいて手を止める。バーが空回りして焦げた匂いがする。ほとんどの歯科医師が一度は経験する場面です。では、歯髄の温度が何度上がると戻れなくなるのか——その数字は、どこから来たのでしょうか。
出どころのひとつがこの1965年の実験です。結論を先に言うと、無傷のサルの歯を外から温めたとき、歯髄内の温度上昇が10°F(約5.6℃)で15%、20°F(約11℃)で約60%、30°F(約17℃)では全部の歯が回復しませんでした。そして著者らはこの数字を、削る外傷を一切足していない「最低限」の値として提示しています。
②当時わかっていなかったこと
1960年代には、高速切削と低速切削、注水の有無で歯髄の反応がどう変わるかは、すでに組織学的に調べられていました。著者らのグループ自身、切削法ごとの発熱を記録し、空気だけを冷却に使ったエアタービンで20秒削ると、歯髄内の温度が45°F(約25℃)も跳ね上がった例を報告しています。
ただし、それまでの研究で見ていた歯髄の変化は、象牙細管を切断することと歯髄を温めることの合わさった結果でした。熱だけを取り出すとどうなるのか。そして外から加えた熱源と、実際の歯髄内の温度とを生体で対応づけた報告は、まだありませんでした。そこを埋めるのがこの研究の狙いです。
③熱だけを取り出す
熱の加え方:唇側・頬側の、歯肉縁から約1 mmの位置にはんだごてを当てる。こて先はエナメル質の曲面に合うよう研いで凹面にし、接触面は3×1.5 mm、温度は275℃。接触時間は5〜20秒。窩洞形成はせず、歯石除去以外の処置もしていません。
温度の測り方:22ゲージ針の中に封入したビーズ型サーミスタを、前歯は舌側・臼歯は咬合面から髄室に入れ、加熱部位に最も近い髄壁に当てる。位置はエックス線で確認。針の周りをセメントで固め、針自体が温まって誤った値を拾わないよう断熱しました。
組織を見た歯:温度を測った歯とは反対側の同名歯。髄室に穴を開けず、同じ秒数だけ熱を当てています。同じ個体の左右で歯の大きさが違う分の誤差は残る、と著者らは断っています。
観察:加熱から2・7・14・56・91日後に標本を採取。H-E染色、アルシアンブルーPAS、ワイゲルトのレチクリン染色で観察し、同じ個体の加熱していない歯を対照としました。
作った歯髄内の温度上昇は4〜30°Fの範囲です。30°Fを上限にしたのは、臨床の処置で起こりうる幅をなるべく広く含めるため、と書かれています。
④結果:温度の幅で運命が分かれた
10°F(約5.6℃):2日後には象牙芽細胞の大半が死に、核が象牙細管の中に吸い込まれていました。前象牙質は薄くなり、直下の基質は浮腫状。ただし多くは修復に向かい、56日後には大半の歯髄が熱の傷害を乗り越えていました。それでも15%は回復せず、とくに小さな歯の歯髄がいくつか壊死しています。
20°F(約11℃):反応が分かれました。旺盛な治癒に向かうものと、壊死へ進むもの。21本中13本(約60%)が不可逆的な壊死に至り、髄角に膿瘍ができて、深部の基質に多形核白血球が広く浸潤していました。生き延びた歯髄では、91日後に「ストレス象牙質」と著者らが名づけた無秩序な瘢痕象牙質が、こぶのように盛り上がって残りました。
30°F(約17℃):すべての歯が圧倒的で不可逆的な壊死反応を示しました。2日後には歯髄の構造が出血性の破片で塗りつぶされ、14日後には中身が液状化してほぼ空。組織学的に判別できる歯髄は1本も回収できませんでした。
著者らはもうひとつ、10°F以上の温度上昇を起こし、かつ熱源を10秒より長く当てた歯すべてで、加熱部位の直下の象牙質に基質の変性とトームス線維の破壊——つまり「やけど」の像——が見られたと記しています。
⑤10°Fの歯髄で起きていたこと
臨床で起こりうる範囲として、いちばん参考になるのがこの10°Fの経過です。細胞が死ぬところから、片づけ、作り直し、瘢痕として残るところまでが順序よく並びます。修復が始まるのは1〜2週間後で、56日後には歯髄そのものは正常に戻るものの、刺激象牙質の瘢痕と、象牙質に埋め込まれた象牙芽細胞の核は、熱を受けた証拠として永久に残ると著者らは書いています。
⑥削り方と突き合わせる
この論文が実務に効くのは、組織の所見を切削法ごとの温度上昇と重ねた点です。著者らは4つの方法(Ⅰ エアタービン+注水/Ⅱ エアタービン注水なし/Ⅲ 低速+注水/Ⅳ 低速注水なし)の歯髄内温度の平均的な推移を1枚のグラフにし、そこに「安全域」と「臨界域」の帯を重ねました。
読み取れるのは単純な事実です。注水を使った2つの方法では、歯髄の温度は開始時より下がったまま推移し、安全域を出ませんでした。一方、注水を使わない2つの方法は上昇を続け、25秒前後で臨界域に入っていきます。臨界域の下端は、図では10°Fを少し超えたあたりに引かれています(秒数と下端の位置は、原著の図17を筆者が目盛りから読み取った概略で、数値としては示されていません)。
そして著者らは、熱源が切削だけではないことにも触れています。モデリングコンパウンドのような熱可塑性材料や、熱いガッタパーチャの填入です。ある研究では、ガッタパーチャの填入で窩底の温度が32℃も上昇したと報告されており、窩洞が深ければ不可逆性歯髄炎を起こしかねない、と述べています。
⑦明日の臨床へ
補足(筆者の読み):
・数字そのものより、「これは最低ラインだ」という著者らの注意書きのほうが実務的です。この実験の歯には、窩洞形成も、齲蝕も、修復物も、薬剤も、印象も乗っていません。実際の歯にはそれが全部足されます。
・時間の効き方にも目を向けたいところです。象牙質の「やけど」は、10°F以上かつ10秒より長く当てた歯すべてに出ました。同じ温度でも、当て続ける長さが結果を変えています。
・注水の有無で歯髄温度が上がるか下がるかが分かれた、というグラフの読みは今も有効です。注水は「あったほうがよい」ではなく、安全域に留まるための条件として扱うのが素直です。
・熱源は切削だけではありません。熱可塑性材料の使用や、加熱したガッタパーチャの填入も、著者らが名指しした熱ストレスです。
・なお、原著は図17で「安全域」と「臨界域」の境目を11°F付近に引いています。ただし「歯髄温度の上昇は◯℃まで」という数値を、臨床が守るべき目安として文章で提示してはいません。原著が数字で示したのは「10°F(約5.6℃)でも15%は回復しなかった」という事実のほうです(のちに広く引かれる「5.5℃まで」という目安は、この10°Fの換算に由来します——筆者の補足)。
⑧ここだけ、冷静に補助線
今日のひとこと
著者らの結論:無傷の歯髄は、加えられた熱の量に対してかなり一定した、予測できる反応を示す。多くの歯科処置は、熱への配慮を欠くと歯髄への熱侵襲が臨界域に入る。とくに問題になるのは十分な注水を使わない切削である。筆者の読みでは、この論文の値打ちは閾値そのものより、「削る・むし歯・修復物・薬剤をすべて取り除いた、熱だけの最低ライン」を示した点にあります。実際の臨床ではこれらが上乗せされるため、歯髄の反応はもっと重くなり得る、と著者ら自身が書いています。


