米国の歯科医師1,250人に同じ5症例を郵送し、293人が答えた調査(Bigras 2008)
同じレントゲン、同じ主訴、同じ診断。それでも「再治療で残す」と答える人が94%の集団と、17%の集団がありました。判断を分けていたのは症例の中身ではなく、答えた歯科医師の専門分野です。しかも当の本人たちは、その決断を「難しくなかった」と感じていました。
①「この歯、どうしますか?」に、答えは何通りある?
根尖病変のある既根管治療歯。破折はなさそう、クラウンのマージンも問題ない、二次う蝕も見当たらない。患者さんは「一番いい方法をおすすめしてください」と言っています。
再治療で残しますか。それとも抜いてインプラントにしますか。
この問いを、米国の歯科医師1,250人にまったく同じ資料で投げかけ、293人から答えを得た研究があります。結果は、再治療を選んだ人が94%の集団と、17%の集団に分かれました。症例は1つ、違っていたのは答えた人の専門分野だけです。
②そもそも「残すか抜くか」に物差しがない
近年、インプラント治療が急速に広がりました。やっかいなのは、単独歯のインプラントも初回の根管治療も、どちらも長期成績が良好だと報告されている点です。成功率が同じくらいなら、治療成績だけで優劣は決められません。
ではどこで決めるか。歯の部位、骨の質と量、術者の技量、歯周組織の支持、残存歯質の量と修復可能性、う蝕リスク、審美、患者さんの希望、全身状態……検討すべき変数はいくらでも挙がるのに、「この条件ならこちら」という明確な指針がありません。著者らはこれを治療計画上のジレンマと呼んでいます。
③同じ5症例を、5つの専門に1,250通
研究デザインはシンプルです。実際の患者記録からデンタルX線写真を5枚選び、架空の症例文を添えました。それを一般歯科医・歯内療法専門医・口腔外科医・歯周病専門医・補綴専門医の各250名、計1,250名に郵送しています。名簿は米国歯科医師会の全国リストから無作為抽出で、学校ごとの教育方針の影響(school effect)が偏らないよう配慮されました。
設問は2つ。「無処置/抜歯のみ/抜歯+ブリッジ/抜歯+インプラント/抜歯+可撤性義歯/根管治療+修復/再根管治療/歯根端切除/再治療+歯根端切除/要相談/その他」から治療を1つ選ぶこと。そしてその決断の難しさを1(とても易しい)〜5(とても難しい)で自己評価すること。
返送は293通、回収率23.4%でした(歯内療法専門医76名・補綴専門医60名・口腔外科医57名・一般歯科医50名・歯周病専門医50名)。
④初回治療なら、判断はだいたい揃う
まず穏やかな結果から。30歳の患者さんが「左下がズキズキして眠れない」と訴える症例1。診断は急性不可逆性歯髄炎で、根尖部は正常です。
歯内療法専門医は100%、一般歯科医も92%が根管治療+クラウンを選びました。最も低い歯周病専門医でも74%です。群間の差は統計的に有意でしたが、方向性としては全員が同じ側を向いています。歯髄壊死に慢性根尖性歯周炎の亜急性増悪を伴う症例2(65〜98%)、上顎大臼歯の症例3(74〜97%)でも同様でした。
⑤ところが「一度治療された歯」で、真っ二つになる
問題は症例4と5です。どちらも既根管治療歯に亜急性の根尖性歯周炎があり、いつ誰が治療したか患者本人も覚えていません。破折は認められないという設定です。ただし修復物の状態は違っていて、症例4(下顎右7)はクラウンのマージンが健全でう蝕もないのに対し、症例5(上顎左1)はPFMクラウンが脱落して前歯で噛めない状態でした。
歯内療法専門医は94%・96%が再治療を選択。一方で歯周病専門医は17%・24%、口腔外科医は26%・31%にとどまりました。一般歯科医は35%・48%、補綴専門医は33%・36%です。
裏返しの数字はもっと鮮明です。「抜歯+インプラント」を選んだのは、歯内療法専門医ではどちらの症例も4%。対して歯周病専門医57%・57%、口腔外科医56%・65%、補綴専門医54%・56%、一般歯科医36%・38%でした。抜歯+インプラントが最多の選択肢だったのは、症例4では歯内療法専門医以外の4群すべて、症例5では歯内療法専門医と一般歯科医を除く3群でした。
⑥いちばん怖いのは「迷っていない」こと
この研究がうまいのは、決断の難しさも同時に聞いている点です。意見がこれだけ割れたのだから、さぞ悩んだのだろうと思いますよね。
既根管治療歯の症例
最も割れた症例4でも平均2.16、症例5で2.06。5段階の下から2番目で、「わりと簡単に決められた」という感覚です。著者らはこう書いています——臨床医のあいだの不一致の度合いは大きかったが、本人たちは決断を比較的容易だと考えていた、と。
先行研究(Rawski ら)でも、判断のばらつきが大きい一方で「同僚も自分と同じ判断をするはずだ」という誤った確信が高い水準で見られたことが報告されています。割れていることに、割れている当人が気づいていない。ここがこの論文の芯だと思います。
⑦なぜ、これほど違ってしまうのか
著者らはいくつかの説明を挙げています。
まず、紹介というフィルター。歯内療法専門医のもとに来る患者さんは、紹介元でスクリーニング済みです。利益・リスク・予後・代替案は紹介医と患者さんの間ですでに検討された、と専門医が前提できる。だから「残す」から入るのは自然だ、というわけです。
次に、自分の技術への自信。難しい歯を扱い慣れている専門医は、保存的な選択肢を成功させられると考えやすい。逆にインプラント埋入の経験と成功体験がある術者は、それを第一選択に置きやすい。
3つ目が「Praxis Concept」という考え方です。根尖の健康と病気を白黒ではなく連続体として捉えるため、「ここから治療」という行動の閾値が術者ごとに大きくずれるという仮説です。ただし著者らは、今回のばらつきの主因がX線読影の差だとは考えていません。5症例すべてに症状を持たせ、読影の解釈に依存しない設計にしてあるからです。
そしてもう1つ、見落とせない設定があります。設問には「患者さんはあなたに最善の治療の推奨を求めています」と書かれていました。これは費用・治療期間・来院回数・患者さんの好みを意図的に考慮から外させる指示です。実際の治療選択でしばしば決め手になる要素を外してなお、これだけ割れたことになります。
⑧明日の臨床へ
この論文は「専門医が正しい」とも「抜歯派が間違い」とも言っていません。著者らの主張は一点だけです。治療の選択が、症例の中身ではなく主に術者の専門分野によって大きく変わるのは妥当とは思えない——それはエビデンスに基づく専門職としての信頼性を損ないかねない、と。
持ち帰れることを3つに絞ります。
1つ目、迷わずに決められた症例ほど、一度立ち止まる。難しさの自己評価が当てにならないことが、この研究で示されています。「簡単だった」は、判断が正しかった証拠にはなりません。
2つ目、紹介先の専門によって答えが変わりうると知っておく。セカンドオピニオンを求めるとき、誰に聞くかが結論を左右します。逆に自分が紹介を受ける側なら、紹介元がどこまで説明済みかを確かめてから方針を決める価値があります。
3つ目、選んだ理由を言葉にして残す。残存歯質、歯周支持、修復可能性、患者さんの希望と費用。判断の根拠をカルテに書き出す習慣は、自分の閾値が専門性のクセに寄っていないかを点検する、いちばん手軽な方法です。
今日のひとこと
初回治療の判断は揃う。割れるのは「一度治療された歯」だ。そしてそこでの答えは、症例の難しさより、聞かれた歯科医師が何の専門家かで決まっていた。自分の得意技が判断の入口になっていないか——迷わず決められた症例ほど、一度立ち止まる価値がある。


